Featureロシア・バレエ 光と影

第4回 「ロシア・バレエへの期待」


  ロシア・バレエは、19世紀後半に黄金時代を迎え、世界各地の大バレエ劇場のレパートリーの中核をなす作品を残した。しかし1917年のロシア革命のために、国の文化政策が大きく変り、世界のバレエ界のロシア・バレエを見る目が変ってしまう。だが1950年代になって、いわゆる鉄のカーテンが少しづつ巻き上げられ、ソ連バレエの実体が世に知られるようになり、西欧のバレエ界は、ロシア・バレエの栄光が、少しも衰えていないことに気付く。栄光は衰えていないばかりか、ロシア・バレエは再びあこがれと賞讃のまとになったのである。第二次世界大戦後間もなくソ連を訪問したある英国のバレエ関係者は「ソ連バレエの『白鳥の湖』に較べれば、わが国の『白鳥の湖』は『あひるの池』だ」と書いた。噂に聞く人間国宝ガリーナ・ウラーノワ(1910-1998)が、ソ連文化使節としてイタリー共産党支援のために、フィレンツェで踊るという話(実際に公演した)が流れると、アメリカではチャーター機を頼もうというバレエ・ファン・グループが出来た。

 ソ連のバレエ界は、思想的作品には問題があるかも知れないが、踊り手の質の高さにつては、世界に並ぶものがないという認識が一般に広まったのである。徐々に文化交流が盛んになって、大バレエ団の海外公演が日常的になると、その認識が誤りでないことは世界中が確認した。
 ソ連革命後、一時期バレエは粛清の嵐に遭い、いくつかの作品がブルジョワ的といわれて捨てられたが、生き残ったものもあった。特にチャイコフスキーの三大バレエが残った意義は大きい。政府高官はまた、バレエはロシアの宝といい、学校組織が維持された。維持されただけでなく、革命前、国立バレエ学校はモスクワとペテルブルグにしかなかったが、旧ソ連地域には新たに二十一の国立バレエ学校が生れ、全部で二十三校となった。
 帝政時代に政府が莫大な予算をつぎ込み、世界中から教師を集めて高度な教育を施し、バレエといえばロシアといわれるまでになった土台は、更に大きく強化されたのである。窮屈なソ連文化政策を嫌って国外へ亡命した踊り手はどこでも大歓迎を受け、大成功を収めた。最も有名なひとりはタタール自治共和国ウファ出身のルドルフ・ヌレエフ(1938-1993)で、バレエの歴史始まって以来のスーパースターとなり、世界のバレエ界の流れさえ変えた。
 しかし、その輝かしいソ連‐ロシア・バレエにも問題はないわけではない。さきほどからときどき言及しているように、政府は劇場文化に介入しすぎた。誤りも冒した。そしてそれを完全には反省していない。バレエ界についていうと、政府の文化政策に適合しないという理由から、二人の優れたバレエ作家は主流から外された。レオニード・ヤコプソン(1904-1975)とカシヤン・ゴレイゾフスキー(1892-1970)である。公式には疎外されたという記録はなく、ロシア当局者はこれに反対する資料を限りなく提出し得るだろう。だが筆者にはこの二人が正当に取り扱われたとは思えない。
 共産主義が崩壊したあと、ロシア・バレエ界は、今迄のおくれと信じているものをとり返すのに懸命で、西欧のバレエ作品を沢山輸入している。事実、ソ連が国を閉じている間に西欧のバレエ界は大きく変った。だが、その変化を主導した人たちは殆んどロシア・バレエで育ったロシア人である。現在の主導者たちはロシア人ではないが、ロシア人のつくったきっかけから発展していった人たちである。前記の二人は、西欧でロシア人が行っていたと同じ価値のある変革を、閉鎖された社会の中で試みてきた。新しいロシア・バレエの確立には、この二人の復権と見なおしが大きな役割を果すに違いない。それをせずに、最近新しく出来た西欧バレエを輸入しても、ロシア・バレエに役に立つとは思えない。
 もうひとつは、共産主義文化政策のために、変更を余儀なくされた19世紀ロシア・バレエのレパートリーの見直しである。1999年「眠れる森の美女」が復原され、世界中が賞讃した。真のロシア・バレエを初めて見たと思った人は多い。しかしこの試みは、次に行なわれた「バヤデルカ」があまり評価されなかったからか、歩みがおそい。
 このふたつのことは、いって見ればソ連時代の反省である。ロシア・バレエは、教育システムは完璧なのだから、歴史の認識さえしっかりやり直せば、立派な作品が生れる可能性は十分にある。折角獲得した文化的自由を有効に活用しないのは、過去に築き上げられたバレエの遺産に対して、礼を失している。

 

 


バックナンバー

第4回 ロシア・バレエへの期待

第3回 ロシア・バレエの日本への影響
第2回 ロシア・バレエの栄光
第1回 ロシア・バレエの誕生

 


usui.JPG薄井憲二(うすい・けんじ) 

 1924年生まれ。東京都出身。バレエ協会会長。16歳でバレエを始める。東大在学中に出征し、終戦後4年間のシベリア抑留生活を経て帰国し、東勇作バレエ団で復帰し、舞台、テレビで活躍。現役引退後は、モスクワ、ヴァルナ、ペルミ、ジャクソン等国際バレエ・コンクール審査員を歴任。西欧舞踊史研究の第一人者として、バレエ関係の著書、訳書も多い。平成18年紺綬褒章受賞。橘秋子賞、蘆原英了賞、兵庫県文化賞他賞歴多数。モスクワのボリショイバレエアカデミーでは名誉教授に任命されている。


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