

第1回 ロシアとのビジネスは慎重かつ果敢に
中国もそうだが、この30年でロシアも随分変わった。僕が初めてモスクワに来たのは1973年だが、その頃は薄暗い街に「共産党万歳!」というネオンだけが黄色く単調に輝いていた。ところが今のモスクワの夜は、光と色の洪水だ。建物全面にサイケデリックなビデオアートが四六時中うねっているようなのさえある。 だがこの国と日本とのビジネスは、実はソ連の時代でも旨味があったのだ。70年代2度にわたる石油危機で大枚の金を手にしたソ連は、石油化学など大プラントを相次いで輸入し始める。当時ソ連の貿易は、業種毎に存在した「公団」という組織が独占していた。国営商社のようなものだ。これが日本の商社に旨味をもたらした。80年代前半までは、モスクワに店を構える日本の商社は、事務所単位面積当たり世界で最高の利益を上げていたらしい。公団が持ち込む商談は、規模が大きかったからである。 1991年ソ連崩壊の前後になると、国は乱れに乱れた。日本の敗戦の前後、軍備蓄物資の横流しに多くの者が手を染めたが、ソ連ではそれが全経済にわたって起きた。大使館に勤務していた僕のところにさえ、見ず知らずのロシア人から「マンガン1トンを持っている。日本での買い手を探してくれ」などという要望が舞い込む始末。貿易が自由化され、どのロシア企業も直接外国貿易をしていいことになったのはいいが、遠いシベリアにある企業と取引するのは至難の技だ。当時、地方の空港ではジェット燃料が不足する事態が続いていたから、日本の商社員はモスクワに帰って来られなくなるリスクを冒して、こまめに地方に飛ばざるを得なくなった。 ロシアはそれまでの軍事社会から大衆消費社会に転換していったが、流通をマフィア的組織がまだ抑えていた90年代前半、日本の家電や自動車会社は、自前の国内ネットワークを作るわけにもいかなかった。国境で現金取引で品物を渡すと、あとはロシア人に流通、アフタケアを委ねざるを得なかったのである。 そしてそれからまた、時代は転換した。石油価格高騰のおかげで経済、社会が安定したのはいいが、「ロシアは再びソ連的なものを復活させつつある」という声が西側で高くなっている。石油産業の半分は国有化されたし、プーチンが5月に首相になれば同時に与党「統一」の党首を兼ねる、という最近の決定も、ソ連共産党と党書記長のコンビ復活を思わせる。そうなると、「統一」ラインは政府のラインと競い、一つの国に行政機関が2つあるような様相を呈するのでないか。ソ連時代、まさにそうだったのだから。 だが、ソ連的なるものの復活が一概に悪いとは言い切れない。ロシア側が大きくまとまってくれれば、商談の規模は大きくなり、支払いもそれだけ確実性が増すというものだ。ロシアは、軍事大国から大衆消費社会に変わった。その事実はもう後戻りしない。外貨準備はGDPの半分にのぼり、少々の金融危機にも強い体質になった。田畑伸一郎・北海道大学教授の計算では、原油価格がこれからあまり上昇せずとも、2020年のロシアは押しも押されもしない世界5位の経済大国くらいの地位はかたい、つまり大きな市場になっているだろうということだ。 プーチン大統領は、ロシア経済が原油輸出に依存したままでいいとは思っていない。彼やセルゲイ・イワノフ第一副首相は何度となく、製造業、先端技術振興の必要性を国民に訴えている。プーチン大統領は、「生産設備をすべて更新せよ」とまで言っているのである。 サブプライム問題で一時停滞はあるかもしれないが、少なくとも2020年頃までのロシア経済は今よりもっと伸びていく。バブルが破裂したり、商談相手が債務支払い困難に陥るリスクを勘定に入れつつも、今のロシアとの商談は前向きに進めていく価値があるだろう。
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