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第7回 ロシア人は何からできているのか?

 

 「ロシア人」と言っても、中にはユダヤ人、アルメニア人、グルジア人、タタール人などもいるのだが、日本人には区別がつきにくい。とにかく、ロシアの人々とつきあっていると、「彼らはいったいどういう人間なのだろう。どうして日本人とこれほど違うのか」という疑問が起きてくる(むしろロシア人の方が世界平均に近くて、日本人こそものすごく変わった民族なのだという視点は忘れてはならないのだが)。人間というのはそれほど違う遺伝子を持っているわけではないので、やはり風土、歴史が各々の民族的特性を決めるのだ。で、今回は「ロシア人は何からできているのか」、つまり彼らの性格はどのような歴史を通じて形成されてきたのか、ということについて書いてみる。
 ロシア人というと日本でもアメリカでもヨーロッパでも、すぐ「熊」を思い出す。現在のメドベジェフ大統領の苗字も訳してみれば、「熊さん一家」である。そして実際、古代のスラブ人達は、熊を神の化身として崇めていたのだ。やがてロシアの地を南北に貫くドニエプル川、そしてヴォルホフ川が、多分ヴァイキングによって中世の通商の中心地コンスタンチノープルへの通商路として開かれると、川べりにはキエフ、ノヴゴロドといった通商都市国家が生起する。そして、これら都市国家は専制君主ではなく商人貴族達が構成する市会が選ぶ市長によって統治された。つまりロシアもその初期には共和制をとっていた時期がある、彼らの遺伝子には専制主義が深く染み付いているわけでもない、ということだ。
 そのロシアも13世紀にはモンゴル人に征服されて、実に16世紀までモンゴル人に納税を続ける。その徴税を請け負って台頭(税金をちょろまかしたのだ)したのがモスクワ公国で、やがてこれが拡張して今のロシアとなる。ロシアの学者は、モンゴル人が専制主義的なメンタリティーをロシア人に植えつけたのだと言っているが、本当のところはわからない。モンゴル人は数が少なく、ロシア人が彼らに接することは当時でも殆どなかったのだから。
 イワン雷帝はモンゴル勢力を駆逐して、まるで彼らがロシア方面にかぶせてきた毛布をそのまま裏返してアジア方面にかぶせ―――つまりシベリアの征服だ――、将来の大帝国を創造するきっかけを作るのだが、そうなる前の16世紀末から17世紀初めにかけて、ロシアは「スムータ」という戦国時代を経験する。その最中にはポーランド軍がモスクワを2年ほど占領している。
 戦乱をきっかけにして農民の逃散が始まった。豊かな南部に逃げて自由なコサックになってしまうのだが、これでは領主が困る。で、領主達は農民を土地に力づくで縛り付けた。そして一切の権利を奪ってしまったのだ。これがロシアの農奴で、農民の地位が向上していた西欧に逆行したのだ。
 1861年まで続いた農奴制は、ロシア人の心に深い痕を残している―――と僕は思う。何しろ95%以上の国民が何の権利も持っておらず、トルストイの「復活」にあるように領主は農民に何をやっても良かったのだ。これは、支配者、被支配者の間に決定的な溝を生む。「同じ民族なのに、同じ人間ではない。いや、相手はむしろ人間ではない」という状況が生ずるのだ。

 

 今でもロシアのエリート達は石油など天然資源の利権を分け合い(奪い合い)、アラブの首長のような生活をしているが、彼らは国民の大多数がどのような暮らしをしているかぜんぜん気にかけない。そしてそれが資本主義なのだと思っている。「エリートのエゴイズム」、これがロシアの足を引っ張っている。投資は、手っ取り早く儲けることのできるエネルギー、流通部門に流れ、富の基礎をなす製造業へは回らない。国民は「奴らさえいなくなれば、奴らの手にした富を俺たちに分けてくれれば、ロシアはうまくいくのに」と思っている。
 ロシアの大衆は嫉み深い。農奴の時代でも耕地は自分達で差配することが認められていて、農民は数年に一度は村の中で耕地を替えて肥沃度の差が所得の差を生まないようにしていたらしい。私有ではなく「集団所有」の伝統なのだ。だから、1917年に共産主義革命が起きた時、レーニン自身は大企業を国有化することしか考えていなかったのに、従業員達は商店にいたるまで勝手に持ち主を追い出し、「国に捧げ」て身分と雇用を国に保証してもらおうとしたのだ。
 この「集団所有」の伝統も、投資のための資金蓄積を妨げる。大衆が分配を急ぎすぎるからだ。今ここにある富を、エリートはポケットに入れて海外へ出し(そうしておけば没収されないし、利益率の高い投資案件が多数ある)てしまい、大衆はすべて分配することを要求する。政治はエリート、大衆、双方のエゴイズムの間のバランスを取ることに集中しがちで、前向きな投資政策、構造改革政策が実行できない。

 

 日本でもロシアの集団所有に近いものとして平等の伝統があるが、日本の企業とロシアの企業の間には、おそらく決定的な違いがある。日本の企業の従業員の多くは、会社の発展が自分個人、自分の家族の利益になるのだということを自覚しているし、経営陣は従業員、そして従業員の家族全員の生活に責任を負っているのだということを強く意識している。ロシア人に言わせれば、そんな体制は個人の自由がないということなのだが、それは奇妙な理屈だ。日本人は別に強制されて会社のために尽くしているわけではない。終身雇用が未だに主流であることが、会社至上主義の一番の理由なのだろうが、儒教的価値観がこれを支えていることもまた事実だろう。社会を自発的に作っているのだ。
 ロシアの組織は上下関係の厳しさでもっていて、自発的な協力という要素が小さい。経営陣、従業員の間の距離は、殆ど別の惑星に住む者同士の感がある。で、ロシアで働くことになったら、社員との間の障壁は無理に破ろうとしない方がいい。へつらっていると思われ、馬鹿にされるだけだ。
 到着したら、自分はどのような職場環境をめざすのかを説明し、それを実行しなければならない。朝の体操とか夜のカラオケとか、漠然とした雰囲気だけで「家族関係」を演出しようとしても、ロシア人には嫌がられるだろう。彼らは力で抑えられない限り、実は非常に自由、と言うか奔放な国民で、束縛を嫌うのだから。このシリーズの第3回、第4回でも言ったように、できるだけ情報と目標を共有すること、イニシャティブ・創意を奨励する一方では報告・相談を励行することなどが、おそらく一番有効だ。そして、できれば大部屋に自分も座っているか、個室にいてもいつでも誰でも入りやすいようにしておくことだ。気さくさを強調しすぎてもいけない。信賞必罰の厳しさを持っているということは、オーラとして身辺に漂わせておくべきである。




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河東哲夫

河東哲夫(かわとう・あきお)

 

1947年生まれ。1970年~2004年外務省勤務。ドイツ、ソ連、ロシア、ウズベキスタン、スウェーデン、米国に勤務。2004~2006年、日本政策投資銀行設備投資研究所上席主任研究員。2006年9月独立し、日英中露語による国際ブログ"Japan-World Trends"を創立、代表に。東京財団上席研究員、早稲田大学及び東京大学客員教授を兼職。

著書にソ連崩壊を背景とした大河小説『遥かなる大地』(熊野洋の筆名)、『意味が解体する世界へ』、『外交官の仕事』(いずれも草思社)、『ロシアにかける橋』(かまくら春秋)。嵯峨冽の筆名で『ソ連社会は変わるか』、『ソ連の試練』(いずれもサイマル出版会)。その他雑誌執筆、テレビ出演多数。

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