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第9回 「冷戦復活」の代わりにゲームのルールの明確化を

 

 冷戦の復活?

 

 「グルジア戦争の結果、冷戦が復活する」という論議がマスコミをにぎわしている。だがその場合、「冷戦」は何を意味しているのか? 世界中でアメリカとロシアが経済援助競争やスパイ合戦を繰り広げるというのか? ロシアがまた世界中に基地を作り、空母を送り出すというのか(冷戦中でもロシアの空母はそのようには使われなかった)? 米ロが核ミサイルの数をまた競うようになるというのか? それだったら、今のロシアの国力ではもう無理だ。アメリカがポーランドに、イラン発のアメリカ向けミサイルを撃ち落すためのミサイル(MD)をこれから配備し、これに対抗してロシアがベラルーシに短距離ミサイルを配置したり、ポーランドを狙う中距離核ミサイルを本土に配備したり(因みに、米ロは条約で中距離核ミサイルの配備を相互にやめている)することくらいはあるかもしれないが。アメリカがポーランドにMDミサイルを配備すると、照準さえ変えればモスクワに10分強で到達するからだ。
今のロシア軍は100万人強しかいない。しかも人口が減っていて、徴兵には大変苦労している。今回グルジアに攻め込んだのは第58軍という、チェチェン戦争で活躍した百戦錬磨の職業兵達なのだが、それは召集兵は実戦では使いものにならないということを示している。だが職業兵は金がかかるので、その数はなかなか増えていない。新型原子力潜水艦に配備するべき新型核ミサイルの「ブラーヴァ」は何回も実験に失敗している。
つまり「冷戦」と言っても、1989年まで続いたあの厳しい軍事的・政治的対決はもはやないだろうということだ。冷戦の時でさえもソ連は西側に石油・ガスを輸出し(1975年のヘルシンキ宣言以来、欧州では東西「緊張緩和」が続いていた)、西側の商品、設備、機械を輸入していた。今回も、ロシアと西側の関係が冷却しても、経済関係の大部分は続くだろう。ロシアが自分で高品質の消費財を作れない以上、外国がロシアに作った工場にはそのまま操業を認めるだろう。ただ、現在ロシア経済の最大の懸念の種であるインフレを抑えるために、製品価格を行政命令で統制しようとしてかかることはあるかもしれない。ロシア国内では昔の「計画経済」への復帰を良しとする勢力が徐々に声を上げているからだ。

 

グルジア戦争前史

 

 今回のグルジア戦争は、ロシア、グルジア、アメリカ、どれか一方だけが悪いのではない。1991年ソ連が崩壊した時、グルジア共和国の中に居住しているアブハジア、オセチア両民族はグルジアに編入されることを嫌って武力紛争になった。その紛争は94年に停戦になり、その後国連の認可も受けてロシア・グルジア両軍を中心とした平和維持軍が両地域に駐留していたのだが、04年の大統領選挙でサーカシヴィリはアブハジア、南オセチアなどの「分離派地域」を完全に制圧することを公約として当選した。そして彼が就任して最初にしたことは、南部の少数民族地域アゼリを制圧したことだったのである。
サーカシヴィリは元々、アメリカのNPOの資金も受けて民主化運動を展開し、03年の議会選挙で政府側が不正を行ったことを言い立ててシェワルナゼ政権をひっくり返した人物である。だからロシアは最初から、サーカシヴィリに警戒的だったのだ。そしてアブハジア、南オセチアはグルジア政府による制圧を恐れてロシアにすがりつく。これに対してサーカシヴィリはアメリカとの関係を強化し、NATO加盟を強く要請するようになった。弱小勢力がアメリカ、ロシアをそれぞれ後ろ盾とし、自分の利益のためにこれら強国を深く引きずり込んでいく構図がここに成立したのである。
グルジアにとっては、もはや自己目的と化しつつあるNATOやEUへの加盟を実現するためにはオセチアやアブハジアを平定しておかなければならず、ロシアにとってはグルジアのNATO加盟は自分自身の安全保障にも響く問題と捉えて、南オセチア、アブハジアは死守しなければならなかった。アメリカはイラク戦争やイラン問題で手一杯で、グルジアには少々の援助でお茶を濁していた感があるが、今回の戦争ではからずも鼎の軽重を問われる事態に立ち至ってしまった(それでもブッシュ大統領は本気で動いているとは思えないが)。

 

グルジア戦争顛末

 

 今回の事態は、7月には西側がトビリシ郊外で、ロシア側がグルジア領のすぐ北でほぼ同時に軍事演習を行ったところあたりからスタートする(もうこの2年くらい、アブハジアと南オセチアではロシア、グルジアがやった、やらないの小競り合いを繰り返していた)。7月中旬にはアブハジアをめぐる情勢が緊張し、ドイツのシュタインマイヤー外相が調停に乗り出したがうまくいかなかった。だがその頃からグルジア側は南オセチア周辺に軍を集結させ、これに対してロシアも北オセチア駐留の第58軍をアラート状態に置いたと言われる。今回の戦争はロシアが事前に計画していたものだという議論があるが、双方とも兵力を動員していたのだ。
だが8月8日早朝、グルジア軍が南オセチアの州都ツヒンヴァリを大挙攻撃した時、ロシア第58軍の司令官は休暇中だったらしい。そしてメドベージェフ大統領も休暇でヴォルガ川の船旅中、プーチン首相は北京オリンピック開会式に出席中だった。ロシアは、サーカシヴィリがこれほど大規模に攻撃してくるとは思っていなかったらしい。
南オセチアとロシア領(つまり北オセチア)の間は高いコーカサス山脈だ。交通路はこの山脈を貫くRokiトンネル、これ一本しかない。ツヒンヴァリを攻めたグルジア軍はまずこのトンネルを制圧してロシア軍の侵入を防止するべきであったのに、戦法が拙劣でツヒンヴァリ市内でオセチア義勇兵の猛烈な反撃を受け釘付けにされてしまった。戦車だけ先へ先へと進み、戦車を防護するべき歩兵部隊が釘付けにされたそうだ。
ロシアの方も、攻撃が8日早朝に起きたにもかかわらず、対策を決める国家安全保障会議が開かれたのは午後3時。その前にロシアの第58軍は進軍を開始していた。だがRokiトンネルは6キロの長大なもので(この数字、確認を要する)、しかも1車線しかないらしい。ここでロシア軍の車両、戦車が相次いで故障したようだ。つまり、ロシアの兵力は小出しにトンネルから出てきて、そこでグルジア軍の反撃を受けて司令官まで負傷してしまったのだ(前記のグルジア軍の失敗の箇所と矛盾しているが)。そして、ツヒンヴァリを制圧するまで2日間も要している。

 

ロシアは孤立すればアフリカに抜かれる

 

 ロシアは、アブハジアと南オセチアの「独立」を素早く承認した。既成事実を作り上げ、これからの西側との交渉を有利に運ぼうとしているのだ。これで、西側との関係はどこまで悪化するか? メドベージェフやプーチンの発言を読むと、西側を非難しながらも協力関係の継続を望んでいることをはっきり述べている。ところが西側のマスコミは、彼らの発言のうち「WTOなど入らなくても困らない」とか強面の発言ばかりを見出しで使う。プーチンは大統領の時代にも、「冷戦時代のような軍事支出をしたらロシアは終わりだ」という趣旨のことを何度も述べていた。
8月28日の上海協力機構首脳会議で、ロシアはグルジア戦争に対する支持の言葉を仲間達から引き出すことができなかった。胡錦涛主席に至っては「当事者の間で平和的解決が見出されることを望む」という、傍観者的な励まししかくれなかった。これまで「アメリカ一極主義」に対抗して中国やインドと同盟関係を作るのだ、IMFも作り変えるのだと意気軒昂だったロシアは、いざとなるとアメリカに歯向かう者は自分くらいしかいないことを発見したことだろう。皆、アメリカに抑えられてそうなっているのではない。アメリカが戦後60年支えてきた世界の諸体制の中で生きることが最も利益になり、安全であることを認識しているからだ。ロシアだけがアメリカとの経済関係が異常なほど小さいのである。
現在アフリカ大陸全体のGDPはロシアと旧ソ連諸国を合わせたNISのGDPよりやや下回るが、石油価格急上昇が始まる前は上回っていたのだ。ロシアが孤立すれば、アフリカ以下の経済力しか持てないだろう。
グルジア戦争では、ロシア軍の装備が時代遅れになっていることが如実に表われた。ロシア軍の戦車は夜間暗視装置を持ったグルジア軍に随分やられたし、陸軍・空軍の間の連携・通信統合体制も悪かった。ロシア全土を覆うはずのロシア版GPS「グロナス」は、まだ衛星の数が足りず、使い物にならない。米軍と比べて何よりも目に付くのは、巡航ミサイル、精密誘導爆弾などが殆ど実用化されておらず、旧態然とした戦法を取っていることだ。ロシアは今後、これらの面での技術、装置を西側でしゃにむに取得しようとするだろう。うっかりそれに乗る西側企業は、アメリカから熱いお灸をすえられることになる。
サブプライムや今回の戦争のあおりで、ロシアに対するヨーロッパ資本市場の敷居が高くなったようだ。「低利子の日本の資金」とやらを目掛けて、今更日本にやってくるロシア企業が最近ちらほら目立つ。

 

余計な紛争を防ぐためのルールの確立を

 

 ソ連のような大国が崩壊すると、周辺には不安定な「力の真空」地帯ができあがり、紛争の種となる。今回もそうだ。だが、旧ソ連諸国をまとめて面倒を見られるような解決方法はないだろう。NATOもロシア周辺諸国をすべて加盟国とするような力はない。これまでどおり、隠微なバランスで安定が維持されていくのだろう。このバランスを維持し、大国間の勢力争いが武力紛争化するのを防止するには、いくつかのゲームのルールを確立しておかねばならない。その基本は、ロシアがソ連の復活を画策しないこと、西側は旧ソ連諸国に勢力範囲を拡張しようとするより、これら諸国の独立強化と生活向上を第一の政策目標とすることだ。旧ソ連諸国を強化し、地域毎にASEANのようなゆるい団結を生んでいくことが、これら地域への大国の過度の干渉を防ぐことだろう。




バックナンバー

第12回 ソ連の家電・騒動記

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第9回 「冷戦復活」の代わりにゲームのルールの明確化を

第8回 グルジア紛争と対ロビジネス

第7回 ロシア人は何からできているのか?

第6回 ロシア人は信用できるか?

第5回 ロシア人との付き合い方③

第4回 ロシア人との付き合い方②

第3回 ロシア人との付き合い方①

第2回 ロシア人とのアポの取り方
第1回 ロシアとのビジネスは慎重かつ果敢に

 

河東哲夫

河東哲夫(かわとう・あきお)

 

1947年生まれ。1970年~2004年外務省勤務。ドイツ、ソ連、ロシア、ウズベキスタン、スウェーデン、米国に勤務。2004~2006年、日本政策投資銀行設備投資研究所上席主任研究員。2006年9月独立し、日英中露語による国際ブログ"Japan-World Trends"を創立、代表に。東京財団上席研究員、早稲田大学及び東京大学客員教授を兼職。

著書にソ連崩壊を背景とした大河小説『遥かなる大地』(熊野洋の筆名)、『意味が解体する世界へ』、『外交官の仕事』(いずれも草思社)、『ロシアにかける橋』(かまくら春秋)。嵯峨冽の筆名で『ソ連社会は変わるか』、『ソ連の試練』(いずれもサイマル出版会)。その他雑誌執筆、テレビ出演多数。

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