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第10回 ロシアの秋

 

 秋になった。あっと言う間に終わってしまうが昔から、ロシアの秋は詩のかっこうの題材だ。遥かな草原、悠々たる大河、清楚な白樺の林、そして葉が黄金に色づいていく梢の上に抜けるように澄んだ青い空。ごみごみした街中から1時間も車で走れば、広い広い空間を独り占めできる。グルジア戦争とか金融市場の崩壊とかいやなニュースが続いたので、今日はこのロシアの秋の楽しみ方について話したい。
 外国人でロシア語ができないとなると、バレーやオペラぐらいで楽しみも終わってしまいがちだが、ロシアは歴史と文化と自然(そして様々な人間のタイプ)の宝庫だ。プーシキンとかエセーニンとかマヤコフスキーなどの詩人、あるいはブルガーコフ、パステルナークなどの作家、その他、その他と自分の好きな分野の人の伝記か作品をまず読んでみる。そしてそれにゆかりの家や名所を訪れる。すると発見は無限に広がり、ロシアという奇想天外でスケールの大きな存在を少しは感じとることができる。

 

 たとえば戦前の頃の有名な作家ブルガーコフの「巨匠とマルガリータ」(翻訳が出ている)を読んでみる。これは大体モスクワを舞台にしていて、冒頭の方で出てくる「作家同盟」(ニキーツキー通り)の古い建物。これは確か誰か貴族か大商人の館だったと思うけれど、今でも昔のまま19世紀西欧風のインテリアで、大変高価なレストランになっている。ここでレセプションをやれば、ばっちりきまりだ。そのそばの長老池の前には昔市電が通っていて、作家同盟の架空の幹部ベルリオーズというのが転んで市電に首を切られてしまう。で、そのあたりに「マルガリータ」というカフェがあって(もうつぶれているかもしれない)、そこはソ連時代末期からオートバイをぶっ飛ばす雷族のたまり場だったのだ。
 「巨匠とマルガリータ」の舞台の一つは、戦前に党・政府幹部達の「公務員アパート」として建てられた「川岸の家」で、これはクレムリンからモスクワ川を隔てた対岸にある灰色の巨大なコンプレックスなのだが、今では外国人や金持ちが入居している。一つの建物の中にスーパーや映画館や劇場やスポーツ・ジムまで備えた、この昔の特権の固まりは、今では見学コースもできているらしい。

 

 ウラル山脈に近いペルミという工業・学術都市に行ったことがある。流れも豊かなオカ川のほとりに横たわる瀟洒な町だが、ここにノーベル賞ももらったパステルナーク(例の「ドクトル・ジバゴ」を書いた人です)がしばらく滞在した家、というのが残っている。このペルミは「ドクトル・ジバゴ」の中ではユリャーチンという名で出てきて、ドクトル・ジバゴはここでラーラと偶然再会するのだ。今でも印象に残るその再会の場はユリャーチン・ペルミの図書館なので、僕はペルミの図書館に行ってみた。映画とは全然違う、あっけらかんとしたただの箱みたいな建物で、ラーラのような女性も見当たらず、すっかり失望して帰ってきたのを覚えている。
 ジバゴと言えば映画では、ペテルブルクの広い通りを走る市電から長い間会えなかったラーラが歩いていくのを見かけ、急いで降りて駆け寄ろうとしたところで心臓麻痺で息絶えたことになっている。でそんなものかなと長い間思っていたのだが、ある日原作の小説を読んでみたら、ジバゴが電車に乗っていたのはモスクワのチャイコフスキー音楽院前のニキーツキー通りで、動物園の方に向かう途中でラーラを見かけたことが判明したのだ。映画の情景とはちょっと違う、わりと散文的な景色の中でジバゴは死んだことになる(どうせフィクションですが)。まあそんなこんなで、ロシアでは方々で小説の舞台に出くわすから結構面白い。

 

 いや、そんな子供だましでは面白くない、という人のためにも、ロシアは様々なエンタメを提供してくれる。極めつけはやはりミュージカルだ。あのきれいなロシア語に翻訳された「ノートルダムのせむし男」や「ジーザス・クライスト・スーパースター」を、モスクワ音楽院を卒業したようなプロが、今の石油景気そのままに豪華絢爛な舞台に演ずる。ロシア人の演ずるアメリカ・ミュージカルだが、その水準はブロードウェイ以上だと僕は思っている。
 週末には郊外の宮殿などに行くと(モスクワだったらクスコヴォなど)、コンサートをやっている。最高の雰囲気の中で室内楽を聴くのは、最高の贅沢だ。景気が悪くなったら、こんなことでもしてせめて気持ちだけでも豊かに過ごそう。ロシア人も以前には、そうやって暮らしていたのだ。




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河東哲夫

河東哲夫(かわとう・あきお)

 

1947年生まれ。1970年~2004年外務省勤務。ドイツ、ソ連、ロシア、ウズベキスタン、スウェーデン、米国に勤務。2004~2006年、日本政策投資銀行設備投資研究所上席主任研究員。2006年9月独立し、日英中露語による国際ブログ"Japan-World Trends"を創立、代表に。東京財団上席研究員、早稲田大学及び東京大学客員教授を兼職。

著書にソ連崩壊を背景とした大河小説『遥かなる大地』(熊野洋の筆名)、『意味が解体する世界へ』、『外交官の仕事』(いずれも草思社)、『ロシアにかける橋』(かまくら春秋)。嵯峨冽の筆名で『ソ連社会は変わるか』、『ソ連の試練』(いずれもサイマル出版会)。その他雑誌執筆、テレビ出演多数。

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