FeatureFocus Russia

第11回 「シベリア・ラリー」をやりましょう

 

 ロシアでは、ベンツやBMWなどもう当たり前。だがソ連崩壊前は、「ソ連車」の天国だった。超要人だけを乗せて道路の真ん中を時速150キロで突っ走る「ジル」、「普通の要人」が乗るメタボリック・ボディーの「チャイカ」、僕の友人が半製品のようなものだと卑下した、しかしそれでも戦車のように頑丈な「ボルガ」、大衆用とは言いながら多くの人には高嶺の花だった「ジグリ」、「モスクビッチ」、もっと大衆用の「ザポロージェッツ」等々、結構ラインは揃っていたものだ。東独に行けば、「ボール紙で作った」と言われる「トラヴァント」などが走っていたっけ。
 どこに行っても、ボルガはあった。ヤクートの冬、トナカイを飼育する農場まで道路を埋める雪に腹をこすりつけながら連れて行ってくれたボルガ。「そりゃ、この車はスグレもの。マイナス40度のヤクートでも、プラス50度の中央アジアの砂漠でもエンジンがかかるんだからな」、運転手は心底からボルガを自慢したし、僕もそう思ったものだ。
 

 車は前に走ればいい、飛行機は落ちなければいい――ものごとの基本はそういうことであり、マルクス主義を奉ずるソ連はいつもそうした基本原則を大事にしていた。函館に突如飛んで亡命してきたミグ25も、その機体は日本の専門家にはブリキ細工のように不器用に見えたらしい。手先が不器用なためではない。ココムのせいで、西側より工作機械がはるかに劣っていたためなのだ。
 そしてロシア人ときたら、モノは一度買うと何十年でも大事に使う。壊れれば、自分で開けて、針金でも使って器用に修理してしまう。ここでまた僕は、やろうと思えば人はなんでもできるのだということを学んだ。
 ロシア人は、ものを直さずにそのまま使うことにも長けていた。冬のモスクワ。凍てついたサドーヴォエ大通りの表面を吹雪が撫でていく。時たま通るタクシーはすっかり磨り減ったタイヤもものかわ、うまくスリップを制御しながらある時は斜めに、ある時は真横、またある時はまっすぐに直って突っ走っていく。フィギュア・スケートの国だけある。
 

 80年代も末になると世は荒れて、道路のマンホールのふたも盗まれるようになったから、車軸の柔なジグリなどはたまらない。前方の車軸がマンホールに突っ込んだ衝撃で折れ、傾いたまま道端に放置されたジグリが何台も目に付いたものだ。
 当時、軍隊のジープにも乗ったことがある。ソ連の時代だって友人の家くらい行けたのだ。そして僕が帰る時、一緒に街路に出た友人は、いとも気軽に手を上げるとちょうど走ってきた軍のジープを止め、僕を中に押し込んだ。(非番の)トロリーバスだって、(当番の)救急車だって白タクをやっていたソ連という柔軟な国柄、僕は別に兵士に拉致されるとも思わず、当然のような顔をして後ろの席に乗り込むと、前方2名の兵士達に言った。「ウクライナ・ホテルにやってくれ」。
 自動車も世相を映す。あれは91年8月のクーデター失敗直後だったか。なぜか知らぬも、モスクワに「外車」が急増したのは。それまでがらがらだったモスクワの広い自動車道路はあっという間に渋滞が当たり前となり、交差点であふれた車は歩道を走ってでも望みを遂げようとするようになった。そして自動車泥棒の増えたこと。泥棒なんて生易しいものじゃない。外交官やその運転手でさえ、交差点や駐車場で引き摺り下ろされては、車を奪われるケースが頻発した。
 でも、正直な連中もいた。スーパーに買い物で車を停めると、少年達が群がりよってきて、「お買い物の間に洗車をします」と口々に言う。キーを預けておくと、車内の掃除までしてくれたものだった。
 

 もう35年前にもなるだろうか。モスクワから一路西、ヨーロッパまで車で一人で行ったことがある。ナポレオンがやってきたモジャイスク街道を逆にたどってミンスク、ブレスト、ワルシャワ、ベルリンと走っていった。その頃は、いくらアクセルを踏んでも120キロくらいしか出なかった日本車を駆って。74オクタンのひどいガソリンを入れると、エンジンを切ってもなぜかぶるぶる回っていたものだ。
 それは6月だった。ベラルーシのあたりにさしかかると、両側から並木のかぶさる街道の両脇には緑の畑が広がる。青い空、白樺の木漏れ日――天国のように美しかった。その時畑でトラクターを運転していた男が今、ベラルーシのルカシェンコ大統領になっていたとすればさぞ奇遇だろう。
 ロシアの「ハイウェー」。90年代の荒れた時期には、数時間ろくなトイレもない長旅路の途中で、あろうことか追いはぎが待ち伏せていると言われていた。あの頃は、ハイウェーをドライブすれば追剥、夜汽車で行けば車掌が車室の鍵を開けて強盗を中へ案内、では飛行機で行こうと思っても落ちることもある―――そんな時代だった。隔世の感がある。今では4車線の本格的なハイウェーがモスクワから四通八達している。もっともそれも、あと何年メンテナンスがもつかはわからないが。
 ちょっとした昔には、ロシアと言えば「悪路」と返ってきたものだ。春の雪解けにはちょっとした泥海と化し、ヒットラーの戦車を無力化させたロシアの悪路・・・もう、今のロシアにはあまりないだろう。でも、ブレスト~ウラジオストクのユーラシア横断カーラリーなど毎年やってみたらどんなものか? それも冬に。結構アフリカのサファリ・ラリーより難しかったりして。
 何? ロシアはもう、SUVの時代じゃない? では、小型車でラリー、やればいいではないですか。耐久性、走行性、経済性を証明するために。



バックナンバー

第12回 ソ連の家電・騒動記

第11回 「シベリア・ラリー」をやりましょう

第10回 ロシアの秋

第9回 「冷戦復活」の代わりにゲームのルールの明確化を

第8回 グルジア紛争と対ロビジネス

第7回 ロシア人は何からできているのか?

第6回 ロシア人は信用できるか?

第5回 ロシア人との付き合い方③

第4回 ロシア人との付き合い方②

第3回 ロシア人との付き合い方①

第2回 ロシア人とのアポの取り方
第1回 ロシアとのビジネスは慎重かつ果敢に

 

河東哲夫

河東哲夫(かわとう・あきお)

 

1947年生まれ。1970年~2004年外務省勤務。ドイツ、ソ連、ロシア、ウズベキスタン、スウェーデン、米国に勤務。2004~2006年、日本政策投資銀行設備投資研究所上席主任研究員。2006年9月独立し、日英中露語による国際ブログ"Japan-World Trends"を創立、代表に。東京財団上席研究員、早稲田大学及び東京大学客員教授を兼職。

著書にソ連崩壊を背景とした大河小説『遥かなる大地』(熊野洋の筆名)、『意味が解体する世界へ』、『外交官の仕事』(いずれも草思社)、『ロシアにかける橋』(かまくら春秋)。嵯峨冽の筆名で『ソ連社会は変わるか』、『ソ連の試練』(いずれもサイマル出版会)。その他雑誌執筆、テレビ出演多数。

Feature TOP