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第12回 ソ連の家電・騒動記

 

 ソ連というと悪口しか言われないところがあるが、実は牧歌的で温かいところもあった。細かい問題はこせこせ気にすることなしに笑い飛ばしていたのである。あの頃、バラエティー笑劇を見に行くと、ライキンとかジバネツキーなど有名な連中が、市役所職員の役人根性や頻繁に故障するアパートのエレベーターなどを笑いの種にしていたものだ。そして聴衆は、本当にうれしそうに笑っていた。それは温かい笑いだった。一定の生活が保障されていたからだろう。
 

 1973年、僕が初めてソ連にやってきた時のことを思い出す。外務省の研修生として1DKの粗末なアパートをあてがわれ(入居した時は剥き出しのリノリウムの床になぜか泥が積もっていた)、自分で炊事、洗濯をすることになった。狭い部屋だから掃除は箒ですませたが、洗濯をいつもバスタブでするのも面倒。そこで洗濯機を買おうと思い、運転手つきトラックを電話で呼び(その頃でも、そういうサービスはあったのだ)店に出かけた。
一人用の小さな、ソ連製の丸い洗濯機。少し不細工だが、可愛かった。やれ助かったと思って水を張り、洗剤とワイシャツを入れてスイッチを入れる。すると可愛い洗濯機は床の上を、苦しげな唸り声をあげてのたうちまわるではないか。モーターの力がすごかった。もしかすると、電車用のモーターでも使っていたのではないかと思うほど。それを抑えつけて5分程、洗い上がったワイシャツを見ると、襟や袖が擦り切れている。僕はそこで結局、1年間、バスタブで洗濯をする羽目になった。
洗濯機は駄目だったが、ソ連製のテレビは一応使えた。スイッチを入れると爆発することもあるとか、いろいろ恐ろしいことを聞いていたが、色がくすんでいるとは言っても、さすがソ連一の「ルービン」印のテレビ。運よく店にあったのを買い、1年間故障もしなかった。そして冷蔵庫はもちろんソ連製。これも電力消費量こそ知らないが、(電車用のモーターで)よく冷えて何の問題もなかった。
ソ連の時代でも外国人や高官達は、ベリョースカというドル・ショップで西側の製品を買えた。家電用のベリョースカはモスクワ東郊の遠い団地の一隅にあって、車でどんどん行かなければならなかったから、モスクワ在住の日本人はみんなで「ドンドン・ベリョースカ」と呼んでいた。ベリョースカの前を一般のロシア人がうろついたりしようものなら、他ならぬロシア人の店員から「あっちへ行け」と追い払われていたものだ。

 

 1991年12月ソ連が崩壊して1,2年たったあたりから、西側の家電製品が怒涛の如くなだれ込んでくる。スーパーのはしりのような店がいくつもできて、その近くの通りにはヨーロッパからやってきた大型トラックが食料品、日用品を満載して何台も止まっていた。
ただ、家電製品は流通経路が少し違っていたかもしれない。日本企業の多くはフィンランドとの国境で製品をロシアの流通業者に現金で売却し、ロシア国内での販売には手を染めていなかった。販売網がマフィア的勢力によって席巻されていたからである。
でも93年頃だったか、エカテリンブルクに行った時、「日本の●●社のエージェントです」と名刺を差し出してくるロシア人がいたので驚いた。聞いて見ると、ファックスとかコピー機とかの事務用電気製品については、日本企業はこの頃から既にロシア全土にエージェント網をはりめぐらしているようだった。
モスクワではそれまで黄色一色、共産党のスローガンしかなかったネオンがきれいになり、目抜き通りにも日本の家電各社のネオンが輝くようになったし、バスの横腹にも広告、テレビでもコマーシャルが流れるようになった。そして90年代後半には、テフノシーラなどの地場資本による家電販売チェーンが次第に整う。これらチェーンの背後にどのような連中がいるのか調べたことはないが、今自前の販売店網を作ろうとしている日本家電各社はこれらロシア資本の販売店網に仁義を切らされていることだろう。

今のロシアでは、石油のためにルーブルのレートがすっかり高くなり、おかげで国内のモノづくりはもう成り立ちにくい。ほとんどのものは、輸入した方が安いのだから。だが、ロシア製家電製品も根強く残っているはずだ。都市部では売れないだろうが、冷蔵庫、掃除機、テレビなど農村部では需要があるはずだ。これから原油価格が低めに推移する中でルーブルのレートも下がってくるだろうから、そうすればロシアやベラルーシの地場家電製造企業に投資して、低所得層向け家電を量産することもできるだろう。

 

 日本と言えば、有名な故ツベートフ在京ロシアテレビ特派員が、「日本は電子立国。21世紀の国」というイメージを、そのルポ番組で広めてくれたこともあり、Made in Japanの家電は絶大な信頼を受けていた。同じ日本の企業が作ったものでも、日本以外で作られたものは一段低い評価しか受けられなかったのだ。もっとも、「日本は自動車と家電製品だけを過労死とサービス残業の低賃金で作っている国」という、若干マイナスのイメージも広がってしまったが。つまり先端兵器は作れない、会社に従順な日本人、というイメージだ。
そして「失われた10年」の間に、日本の家電はロシア市場にまで手が回らなかった。その間に、韓国製品がロシア市場を席巻してしまう。僕のロシアの友人に言わせれば、「日本製品とそんなに性能は違わない。それなら安い方がいい」ということで、ごもっともと思ったものだ。
日本のGDPに、家電が占める比率は低い。それでも世界に知られたブランドを、活用しない手はないのだ。オランダのフィリップスだって、大手として残っているではないか。日本人の賃金はほとんど伸びていない。中国や東南アジアとの差は縮まっている。ならば、またMade in Japanの家電を作り、日本国内の雇用や財政収入を増やすこともできそうなものだが、どんなものでしょうか? 


 

 

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河東哲夫

河東哲夫(かわとう・あきお)

 

1947年生まれ。1970年~2004年外務省勤務。ドイツ、ソ連、ロシア、ウズベキスタン、スウェーデン、米国に勤務。2004~2006年、日本政策投資銀行設備投資研究所上席主任研究員。2006年9月独立し、日英中露語による国際ブログ"Japan-World Trends"を創立、代表に。東京財団上席研究員、早稲田大学及び東京大学客員教授を兼職。

著書にソ連崩壊を背景とした大河小説『遥かなる大地』(熊野洋の筆名)、『意味が解体する世界へ』、『外交官の仕事』(いずれも草思社)、『ロシアにかける橋』(かまくら春秋)。嵯峨冽の筆名で『ソ連社会は変わるか』、『ソ連の試練』(いずれもサイマル出版会)。その他雑誌執筆、テレビ出演多数。

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