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第2回 変わりつつあるロシア人の日本認識
この嘘つきめ!
前回のコラムで、最近日露双方が相手を「再発見」したことを伝え、日本のロシア再発見の背景にふれた。では、ロシアが日本を再発見した背景は何であろうか。 その前に、ロシア人の日本イメージの変遷について少し述べておきたい。1967年から72年まで5年間私はモスクワ大学に留学していたが、私がソ連に留学した当初、当時のソ連人は、敗戦国日本と日本人をやや見下していた。ソ連はスプートニクやガガーリンを宇宙に打ち上げた先進国であり、経済力もソ連の方が日本よりも圧倒的に強いと思っていたからだ。したがって私が、日本のデパートやスーパーの方がソ連の店よりも商品がはるかに豊富で品質も良いと言っても信じてもらえなかった。「このデマゴーグ(嘘つき)めが!」と軽蔑されたものである。 しかしやがて日本やドイツの「奇跡の発展」が伝えられるようになり、1960年代末から70年代初めにかけて日本のイメージが劇的に変った。ソニーとかセイコーなど「MADE IN JAPAN」は高級ブランドの代名詞となり、カメラでもオーディオでも日本製品は垂涎の的となった。ソ連人にとってセイコー、キャノンという言葉の響きは、日本人にとっての「ローレックス」「ライカ」よりもはるかに高級なイメージとなった。面白いことに、70年ころモスクワの街を歩いていると、よく時間を訊かれたものだ。当時、日本人は服装や外見で、ベトナム人や中央アジアのキルギス人とすぐ区別できた。相手は、日本人と見当をつけて尋ねるのだ。しかも、関心は時間ではなく、腕時計なのである。日本製の腕時計をしているのを見つけると、すぐ「売ってくれ」と切り出してくる。やがて1980年代になると、経済や科学技術の発展で米国を脅かす日本に驚嘆のまなざしを向けるようになった。
なぜ日本とロシアにエイズが少ないか
日本の発展は、ロシア人の世界観の根底を揺るがすものであった。というのは、それまで伝統的にロシア人は、大国とは 1・大きな領土、2・豊かな資源、3・強い軍隊の3つの基本条件を満たしている国だと信じていた。しかし、日本はこの条件をすべて欠いている。しかも貧しい敗戦国で資本主義国だ。その日本があれよあれよという間に米国を脅かす存在になったということを知って、ロシア人は驚愕したのである。 ペレストロイカ時代に政治や社会の表舞台に躍り出た改革派の知識人たちは、肝心なのは領土、資源、軍隊などの「モノ」の大きさではなく、システムの「効率」すなわち「機能」にあるのだということを日本の発展を見てはっきり理解した。資源依存など「モノ」志向の傾向の強いロシア人にとって、これはまさに「新思考」である。こうして、戦後日本の奇跡的な発展が彼らの発想の根底を揺るがしたのであり、私はこれを「ジャパン・ショック」と名付けている。 1980年代の後半には、改革派の間では「日本を見ずして改革を語るなかれ」という雰囲気さえ広がり、「日本詣で」が流行となった。日本でシンポジウムを組織しロシア側に出席を打診すると、どんな大物でも訪日を最優先した。やがて日本は、実際以上に美化されるようになった。それにまつわるアネクドートもたくさん生まれた。1、2紹介しよう。 「なぜ日本とロシアにエイズが少ないか。理由:エイズは20世紀の病気だが、日本は21世紀の国でありロシアは19世紀の国だから。」(注意!今ロシアのエイズは増えている)「国際見本市でトイレット・ペーパーのコンクールがあり、各国は趣向を凝らした製品を出品した。フランスは香水入りの艶めかしいもの、中国は社会主義スローガンで排便を励ますもの、ソ連は盗難防止装置付きのもの、等々。ただ日本は錠剤をひとつ出しただけ。皆が不思議に思いながらこの錠剤を飲むと、便がパッケージに包まれて出てきた。」 実際に筆者が経験した話だが、モスクワ中央の古いサウナに行ったことがある。帝政ロシアの豪商がつくったもので、数人が裸でウォッカを飲んだりする個室がいくつもついている。たまたま同室になったロシア人たちと裸の付き合いを始めたが、相手は「お前(トゥイ)はどこから来たのか」と訊く。私は冗談でわざと「チュクチだ」と答えた。当時シベリアのアジア系少数民族チュクチ人をダシにしたアネクドートが流行っていたからだ。私と同行したロシア人の友人が、途中で「実はこちらは日本人だ」と言ったとたん、私に対するトゥイは尊称の「貴方(ヴィ)」に改まった。裸だと、日本人とは分からない。
ロシアはエネルギー超大国と呼ばれたくない
1991年末にソ連邦が崩壊した後、経済発展のことを考えるロシア人が、豊かな経済大国で技術面でも最先端を行く日本に期待したのも自然であった。しかし、日露の経済交流は進まなかった。産業が崩壊した当時の貧しいロシアにとって、高品質だが高価な日本製品は贅沢で、質は劣っても安価な中国、インド、トルコ、韓国などの製品の方が国民のニーズに合っていた。また、90年代には、バブルが弾けた日本経済の不調や後退も広く知られるようになり、日本の威光も急速に色褪せていった。 やがて、国際的なエネルギー価格の上昇でロシアにオイル(ガス)マネーが流れ込むようになると、日本などロシアには不要だという見解さえ広まっていった。こうして、「相互忘却」の時代が何年か続いた。ロシアでは中国製品が幅を利かし、モスクワでも韓国の商品や広告が目立って、日本の存在感は感じられなくなった。ロシア人にとっても「日本の奇跡」は完全に過去のものとなり、経済的に急速に力をつけた中国がはるかに大きな存在となった。ロシアにとって中国は最大の武器、エネルギー市場という認識もある。 今この流れに変化が生まれているのだが、それはロシアの国家戦略の転換と関係がある。1年あまり前からロシアはエネルギー輸出に依存する経済に危機意識を抱くようになり、ナノテクノロジーやIT産業など先進的な技術をベースにした産業国家への転換、つまりイノベーションを強調するようになった。2006年にプーチン大統領と懇談したとき、彼は「ロシアはエネルギー超大国と呼ばれることを望まない」と述べた。北のサウジアラビアにはならないとの宣言だ。この観点から考え直してみると、資源に依存しないで経済大国になった日本には、省エネその他ロシアが必要とするノウハウがそろっているということに気づいたのだ。また、投資市場としての日本に関心を向ける者さえ現れるようになった。 最近は、日本の投資市場や金融市場が閉鎖的だという批判をロシア人から聞くこともあるが、10年前にはとても考えられないことだ。10年前のロシアといえば、金融危機でデフォルト状態であった。こうして、一部のロシア人には、日本が「おいしい国」と見えるようになったのだ。ロシアにおけるこの日本認識の変化は、まだ指導部や政府、実業界の一部の者に限られているが、しかし注目すべき変化である。また後でふれるが、このような日本の再評価とは逆に、中露の経済関係が最近ギクシャクしている。
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