Feature袴田茂樹のおろしあ国徒然譚

第5回 ロシア人と外国語――欧米文化に復帰するロシア人

 

英語の流暢な現代ロシア人

 

 日本人の英語下手はよく知られているが、最近のロシアの学者、政治家、ビジネスエリートなどに接すると、彼らの英語力に感心することが多い。今ロシアのビジネス界のリーダーは若手の30代から40代が中心だが、その大部分が英語をうまく操る。学者の国際会議や国際交流も、ロシアでは通訳なしで英語ですますのが主流になりつつある。昨年9月に、セルゲイ・イワノフ第一副首相と国外のロシア専門家が懇談する機会があったが、イワノフ氏も流暢な英語でわれわれと自由に対話を行った。プーチン大統領はドイツ語ができる。私がこのことに感慨を覚えるのは、ソ連時代には共産党リーダーだけでなく、学者でも外国語が自由な者はたいへん少なかったことを知っているからだ。ここでロシア人と外国語についてすこし考えてみたい。

 

帝政ロシアの上流階級

 

 帝政時代のロシアは、貴族や地主など上流階級と農民など庶民はまったく別の世界に住んでいた。ロシアの皇族は、エカテリーナⅡ世がドイツ人貴族であったように、西欧の王室や貴族と縁戚関係にあった。トルストイの『戦争と平和』を読むとわかるが、ロシアの上流階級にとってフランス語の方がロシア語よりも身近なくらいであった。上流階級はフランス人などネイチブの家庭教師を雇って、子供の教育をしていた。貴族やインテリにとって、フランス語、英語やドイツ語はごく身近な言葉であった。こうして語学だけでなく、それを通じて西欧の文化を身につけていたのだ。

 

 つまり、ロシアの上流階級は単に外国語ができたというだけでなく、欧州の文化にどっぷり浸かっていたということであり、外国語はロシア語と同様か、それ以上に身近だったのだ。帝政時代の話だが、何かで次のような話を読んだことがある。ロシアの地方地主がパリに行ってフランス人と交流して驚いた。フランスの新聞や雑誌については、フランス人よりもロシアの地主の方がはるかによく通じていたからである。奇妙かもしれないが、ロシア人はヨーロッパの辺境にあったにもかかわらずではなく、いや、辺境にあったからこそ、ヨーロッパの人たち以上にヨーロッパ的になった、つまり120%ヨーロッパ的になったのである。帝政ロシアでは地主や貴族だけでなく、雑階級と言われた一般の知識層も、ギムナジウムとかリセなどの学校で、ラテン語やギリシャ語も含めて、欧州の文化や言語を基礎的な教養として学んだ。

 一方帝政ロシア時代の農民や労働者は、その多くが無学で文字も読めなかった。国民の大多数を占める民衆にとって、ヨーロッパ文化はまったく無縁だったし、彼らにとって知識人もユダヤ人と同様、民衆を騙す信用できない連中だった。ピョートル大帝が西欧の学問や技術を導入したこと、つまり西欧化や近代化は、敬虔なロシア正教徒から見ると「アンチ・クリスト」すなわち悪魔の業であった。

 

スターリン時代以後の共産党指導者

 

 ソ連時代になると支配者の心理や文化は帝政時代と大きく変わった。共産主義者も、レーニン、トロツキー、ブハーリンなど初期の指導者の多くは帝政ロシアの知識階級の出身で、欧米の文化や言語には何の違和感も抱いていなかったし、彼らは欧米に出ても、水を得た魚のように自由に活動できた。もちろん外国語の文献は自国語の文献と同様に、いやそれ以上に親しく触れていた。

 

 このような状況が変わったのはスターリン時代以後である。スターリン自身、グルジアの下層階級出身で、国外で生活したことは一度もない。子供のころグルジアの神学校で学んだが、欧米の文化に触れたわけではない。スターリン時代に労働者や農民層から共産党の出世階段を這い登ったソ連共産党の支配層は、欧米の文化やそれを体現する知識人には敵意さえ抱いていた。1930年代のオールド・ボリシェビキの粛清は、この心理と無関係ではない。ソ連時代には、このような心理の人たちから成る共産党がイデオロギーや文化を統制した。外国の書物や文献を読むとか外国人と接触すること自体が異端とかスパイ行為とみなされたスターリン時代には、外国語ができるとか外国の情報に通じていること自体、外国の手先としてスパイ扱いされかねなかった。

 

 したがってソ連時代に外国語を自由に扱えるほどマスターしていたのは、国策として特別に設けられた外国語の重点学校(スペツ・シュコーラ)や外交官養成大学、モスクワ大学のアジア・アフリカ学院などを出た人材である。ソ連社会全体は、外国の文化からは遮断されていたのだ。普通の学校でも一応英語は義務教育として教えられていたが、外国語習得の動機がないところで、外国語がモノにならないのは、日本人自身がよく知っている。興味深いエピソードだが、第2次大戦直後のソ連ではドイツ語を学ぶものが多かった。ドイツに最もこっぴどい目に遭ったからだ。ロシアのムジーク(百姓、男)は、こっぴどくぶん殴られたら、相手を恨むより先に尊敬する。プーチン前大統領(現首相)も諜報員としてドイツ語をマスターしたが、彼を、欧米文化を血肉としていた帝政ロシアのインテリと同じ人種とみなすわけにはゆかない。

 ソ連においては、国策として外国語を学ばせるための人材教育システムは日本よりもはるかに完備していた。その成果でもあるが、一般的に言えば、東京のソ連大使館員の日本語能力は、モスクワの日本大使館員のロシア語能力よりも格段に水準が高かった。しかし、このような外国語教育システムで養成された人材がソ連体制の指導者となったわけではない。ブレジネフやフルシチョフのようなソ連時代の共産党指導者の多くは、技術系、工学系、農学系の専門学校出身で外国語はほとんどできなかった。またそのことは、何ら不名誉なことでもなかった。

 

日本人よりも欧米的な新世代

 

 こう見てくると、英語を自由に操る今のロシアの若い世代が、ソ連時代のロシア人とどれほど隔たっているかがよくわかる。彼らはパソコン世代でもあり、インターネットと英語を通じて世界の情報に自由にアクセスしている。私は、ロシアの若いエリートは、日本のエリートよりも、語学力、発想法、心理、行動スタイルにおいてはるかに欧米化していると思っている。今のロシアの複雑さは、この若い世代の欧米化と「ロシア独自の道」の探索が同居している、あるいは国際化と古いロシアへの回帰が並行して生じていることにある。この意味で、ロシアはアイデンティティ・クライシスに陥っていると言える。

 

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袴田茂樹(はかまだ・しげき)

 

1944年3月17日生まれ。現職:青山学院大学国際政治経済学部教授。東京大学国際関係論博士課程修了。米プリンストン大学客員研究員、モスクワ大学客員教授、東京大学大学院客員教授を歴任。現在はロシア東欧学会代表理事。

専門は現代ロシア論。関心は哲学、文学、芸術と幅広い。趣味は、各地の料理と酒を堪能すること。ツーリング。主な著書に『深層の社会主義』(サントリー学芸賞受賞)、『文化のリアリティ』、『現代ロシアを読み解く』ほか。

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