Feature袴田茂樹のおろしあ国徒然譚

第9回 ソ連製カメラの行く末

 

 

 カメラの話が何か佳境に入ってきたので、ロシアのカメラについてもう少し述べたい。前回、戦前のカメラ生産は、日本もソ連もライカのコピーから始まったということ、ソ連は世界で最初の35㎜一眼レフを生産したこと、そしてソ連はライカのコピーレンズだけでなく、独自設計のレンズなども生産したということを述べた。つまり、カメラ生産では日本より遅れていたわけではなかった。
今、私の手元には1955年ころ生産された2台のバルナック・ライカ(初期ライカ)のコピーと、1980年代から90年代にかけてソ連で生産されたФЕД(フェド)5Cがある。2種類のライカ型は共に最近わが国のカメラ店で入手したものだ。このコラムを書き始めて、ついつい調子に乗って手を出したという次第であるが、そのひとつはソ連のЗоркий(ゾルキー)1である。これは戦前のライカⅡのコピーであり、初期のФЕДと型も性能も同じだが生産工場がちがう。もうひとつは日本のカメラ会社ニッカが生産したコピーライカNiccaⅢのアメリカ輸出用Towerで、これはライカⅢのコピーだがレンズはニコン製(NIKKOR-H・C F2 5cm)が付いている。ちなみに、このレンズはニコン製でありながら、戦前にキャノンが製造したライカ型カメラ(ハンザキャノン)のために設計されたものだった。ニッカといっても今では知る人は少ないが、1958年にヤシカに吸収され、そしてヤシカは京セラに吸収された。京セラはドイツの名機コンタックスの生産をしたが、今はカメラ生産から手を引いている。フェド5Cは10年ほど前にロシアで手に入れたもので、ロシア人の知人に、私が持っていた日本製の安カメラと交換してもらったものだ。相手は大喜びしたが、私にとってもソ連製のほうが面白かった(写真:左からTower、Зоркий、ФЕД5C)。


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この3機種を比べてみると、質感で最も劣るのは、つまりやけに重いくせにおもちゃのようにチャチなのはゾルキー(=フェド)の発展型であるフェド5Cだ。しかし他の2つ、1950年代の日ソ両国のカメラはなかなかの風格があるし、質的にもそれほどの差は感じない。実際にゾルキー(レンズ ИНДУСТАР-22)で撮影してみると、現在でも写真屋も驚くほどシャープな映りを示すし、六つ切り、四つ切りに引き伸ばしても、半世紀以上前のソ連製カメラで撮ったとは思えないほどの出来栄えだ(下記写真参照)。それが、フェド5Cが作られた1980年代には、日ソのカメラの品質には雲泥の差が生まれていた。わが国のカメラは技術面でドイツ製カメラを抜いて世界のトップに躍り出、1960年代にはすでに世界のプロ写真家が日本製カメラを使用していた。


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hakamada9.3.jpg1967年に私が大学を卒業してソ連に留学したとき、私は高校2年の1960年に買ってもらったキャノンRを持っていた。名機ニコンF(1959年発売)と競ったキャノンの高級一眼レフだ。67年ころモスクワの委託販売店では、私が7年使った中古のキャノンでもソ連人の平均月給の半年分の価格で売ることができた。ちなみに、留学してすぐに日本で母が亡くなったので、私はこのキャノンを売って当時は高価だった航空券を購入し、葬儀のため帰国した。このころソ連でもゼニット、キエフ、フェドといったカメラを大量生産していたが、すでに質の面で日本製に大きく水をあけられていた。ソ連製一眼レフのゼニットは1950年代に、わが国の最初の一眼レフよりも早く発売されたが、1960年代にはもはや日本製カメラの敵ではなかった。
ソ連のカメラでも初期のキエフКИЕВにはわが国でも特別の思い入れを有している年配の方は少なくない。というのは、1947年にソ連でキエフが生産され始めたが、それはライカと競ったドイツの名機コンタックスそのものであったからだ。終戦後ドイツが東西に二分されたとき、世界的に有名なカメラメーカーのカール・ツァイス社も二分され、東ドイツにカール・ツァイス・イエナ社が残った。この工場設備や技術者をソ連のキエフに移して、ストックしていたドイツ製の部品も使いながら1947年にコンタックスⅡ型を製造し始めたが、それがキエフⅡである。したがって、初期のキエフはソ連製といっても、実際はドイツ製であった。クラシックカメラ・コレクターの間では、1950年ころまでのキエフⅡが特に人気が高い。それ以後のキエフは、正真正銘のソ連製となり、品質や風格がガタッと落ちるからだ。
わが国のニコンもコンタックスⅡと同じ形のニコンM(=ニコンⅠ)(1949年)とSシリーズ(1950~)を出している。Sシリーズは名機としてたいへん評判がよかったので、近年ニコンS3、SPの高価な復刻モデルが発売されたほどだ(SPは69万円)。コンタックスⅡ、キエフⅡ、ニコンS2の写真を見ると、まったく同じその形に苦笑せざるを得ない。これはまた、日本とソ連のカメラ生産が同じ地点から出発していることを象徴している。ただ、ニコンの名誉のために付言すると、外見は同じでも、機構面ではニコンSは単なるコピーではなく独自のメカニズムを有していた。
1950年以後のソ連においても、国際水準を抜きん出るカメラやレンズが生産されたことがある。例えば1954年に登場したライカM3に対抗して、ソ連でコメッタという意欲的なカメラが作られた。しかし、これは2台だけの試作で終わった。また、1958年にはゼニット用の広角レンズMIR-1(F2.8 37mm)がブリュッセルのカメラ博でグランプリを受けた。MIRはその後40年以上生産されたが、世界のプロ写真家がこのレンズを愛好したという話は聞かない。ネット販売でも、今このレンズは1万円以下で買える。ちなみに、ライカ用の標準レンズであるズミクロン(F2 50mm)は、16万円以上だ。
つまり、ソ連の優秀な技術者が博覧会用に優れたメカニズムのものを少数作っても、大量生産ではだめになるのだ。国外の先進的な技術をコピーした製品を生産する場合も、当初は良くても、ソ連製として定着すると品質はガタ落ちになってしまう。これらはすべて、ソ連の工業に競争が存在しなかったためである。国家が威信をかけて力を入れる宇宙開発とか軍事技術は、熾烈な国際競争にさらされている。しかし、民需生産は、車の製造もそうであるが、品質面では市場で競争に揉まれている西側先進国の工業製品に太刀打ちできない。
ロシアはタイと違って、カメラ生産でも日本に劣らない歴史を有している。当然、工業先進国としての自負もあるし、自己流の伝統も有している。今では、このことがむしろ産業の国際化の障害になっていると言える。市場経済を導入したロシアの工業は、この問題にどう対応するかが問われているのである。

 

 

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第9回 ソ連製カメラの行く末
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袴田茂樹(はかまだ・しげき)

 

1944年3月17日生まれ。現職:青山学院大学国際政治経済学部教授。東京大学国際関係論博士課程修了。米プリンストン大学客員研究員、モスクワ大学客員教授、東京大学大学院客員教授を歴任。現在はロシア東欧学会代表理事。

専門は現代ロシア論。関心は哲学、文学、芸術と幅広い。趣味は、各地の料理と酒を堪能すること。ツーリング。主な著書に『深層の社会主義』(サントリー学芸賞受賞)、『文化のリアリティ』、『現代ロシアを読み解く』ほか。

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