Feature袴田茂樹のおろしあ国徒然譚

第10回 ロシア新大統領考

 

 

 

 リベラルな西欧派と言われたメドベージェフ氏が5月にロシアの大統領になった後、ロシアと紛争状態にあるグルジアの政府関係者と話したことがある。彼はメドベージェフ氏が大統領になったことはグルジアにとって好ましいことだと喜んでいた。シロビキ(軍、治安機関関係者)と関係のない氏なら、強硬な対外政策を遂行することはないだろうと思ったからだ。
しかし実際には、この8月、ロシアはグルジアに対して、係争地の南オセチアを超えてグルジア領土内で大規模な軍事作戦を展開し、メドベージェフ大統領は思ったよりはるかに強硬な姿勢を示した。西側世界はロシアのこの軍事行動を、過剰な反応であるとして強く批判した。一方、大部分のロシア人(72-78%)は、メドベージェフ大統領のグルジアへの断固たる姿勢を支持した。グルジア軍が南オセチアに侵入して、ロシア国籍の住民に対しジェノサイド(大量虐殺)を実行したと報じられたからだ。しかし、ロシアのインターネットには以下のような戸惑いの声ものっている。
「次のような私の理解は正しいのだろうか。<リベラルな西欧派の大統領>が就任後4か月の間に、小さな戦争で勝利をおさめ、NATOとの関係を極めて緊張させ、WTO加盟を不可能にし、<ソ連体制の囚人(=グルジア)>を自らの警護の下に置いた。」

中立系のロシア紙も次のように報じている。

今回のロシア支配エリートの振る舞いは次のことを世界に誇示した。つまり、彼らはもはや誰も、何も、恐れていない――それが国内の敵対者であれ国外の敵対者であれ――ということである。そして、国内政治においても国際政治においても、ゲームのルールを自ら定めようとしている、ということである。多くの専門家は、メドベージェフ大統領の登場による「雪解け」は、少なくとも先送りにされたとみている。(『独立新聞』2008.9.2)

 さて、リベラルな穏健派と言われたメドベージェフ氏とこのグルジアに対する強硬路線の関係をどのように理解すべきか。ある者は、シロビキと結びついたプーチン首相が対外政策においても実権を握っており、メドベージェフ大統領は飾り物にすぎないと結論した。ロシアのインターネットにも次の様な見解がのった。「メドベージェフは蔭の枢機卿たちが命じたことを遂行しただけだ。彼にはいかなる権力もなく、単なる操り人形にすぎない。ここに彼のおかれた状況の悲劇性、また蔭の枢機卿たちの人質になっているロシア人の悲劇性がある。」

 私は、この見解に賛成していない。つまり、メドベージェフ政権のグルジアへの強硬姿勢は、メドベージェフ大統領が無力でプーチン首相の影響力が強いためだとは見ていない。この問題について、私はある新聞に次のように書いた。

ロシアの強硬姿勢は、意外に思われるかもしれないが、リベラルと言われているメドベージェフ政権の誕生と関係がある。ロシアでは今年の5月にプーチン大統領に代わって、リベラルな穏健派とみられていたメドベージェフが大統領になった。これはプーチンの指名によるものであるが、欧米諸国もグルジアもこの新大統領を歓迎した。彼はシロビキと呼ばれる軍、治安関係の人間ではなく、したがって欧米やグルジアに対する姿勢も穏健だろうと予想されからだ。筆者は逆説的だが、リベラルとみられているからこそ、かえってメドベージェフは強硬な対外姿勢を示す可能性があると指摘してきた。
ロシアではプーチン時代にシロビキのグループが政権や経済界の枢要なポストを独占するようになった。したがって、ロシアの大統領に求められる第一の資質は、強硬派のシロビキを統制する力量だ。しかし、リベラルなインテリで42歳のメドベージェフは、シロビキから無視される可能性が大きい。それを避けるためには、欧米に対して断固たる姿勢を示すことによって、シロビキから一目置かれる存在になる必要があった。また、今のロシア国民も、大国ロシアの復活を強く望んでおり、欧米に対して軟弱でない指導者を求めている。
1999年に首相に指名された無名のプーチンは、チェチェンに対して強硬姿勢を示すことで一挙に国民の支持を得た。若輩と見られていたメドベージェフも、グルジア問題で強硬姿勢を示すことで、国民の支持率が一挙に高まった。つまり、グルジアに対するロシアの強硬姿勢は、リベラルで軟弱と見られているメドベージェフが一人前の大統領になるための通過儀礼でもあったのだ。(『信濃毎日』 2008年8月25日) 

ロシア紙にも、この私の見解に多少通じる次のような意見が載っている。

 メドベージェフは最も単純な決定を選んだ。これは彼が本当の指導者かどうかという疑問を解消する最もイージーな選択でもある。彼は賢明な行動の代わりに、自らの政治的権威を強化するために、状況をわざと緊張させた。このことによって、彼は時がたてば真の大統領になるということ、また実際にはリベラルでも何でもないということを示した。これは彼が自ら選んだ決定であった。(『独立新聞』2008.9.2)

 メドベージェフとプーチンが密接な関係を有していることは事実だが、前者を後者の単なる操り人形とみるのは正しくない。グルジアへのロシアの強硬姿勢は、メドベージェフの意思に反して行われたのではない。一見ひ弱な人物が「大国ロシアの指導者」として地位をしっかりと確立しようとすれば、今回の彼の行動は、権力の論理からみるとある意味できわめて合理的だったのである。

 

 

  

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袴田茂樹(はかまだ・しげき)

 

1944年3月17日生まれ。現職:青山学院大学国際政治経済学部教授。東京大学国際関係論博士課程修了。米プリンストン大学客員研究員、モスクワ大学客員教授、東京大学大学院客員教授を歴任。現在はロシア東欧学会代表理事。

専門は現代ロシア論。関心は哲学、文学、芸術と幅広い。趣味は、各地の料理と酒を堪能すること。ツーリング。主な著書に『深層の社会主義』(サントリー学芸賞受賞)、『文化のリアリティ』、『現代ロシアを読み解く』ほか。

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