第11回 ロシアのマスメディア 新聞篇(1) ロシアのマスコミについて、近年統制が強化されているとか、ポリトコフスカヤなどチェチェン問題や権力を厳しく批判するジャーナリストが暗殺されたとか、わが国でもいろいろ報道されている。ポリトコフスカヤに関しては、本もいくつか出版され私は書評を書いたこともある。日本でも、ロシアに関心をもっている人は、このようなことは案外よく知っている。 では、ロシアのマスコミがどれだけ統制されているのか、例えばソ連時代と比べて今はどれだけ違うのか、ペレストロイカの時代と比べるとどうなのか、あるいは中国のマスメディアと比べてロシアはどうなのか。ロシアにおいては、テレビ、新聞や雑誌でメドベージェフ大統領やプーチン首相を公然と批判することができるのか否か。このような問いにきちんと答えられる人は、どれだけいるだろう。実際に答えられる人はきわめて少ない。つまりロシアのマスメディアの実際の状況を具体的に知っている人は、意外と少ないのである。 今年の夏は、南オセチアでの軍事衝突やアブハジアと南オセチアの独立問題など、グルジア問題が世界を賑わせた。では、ロシアのテレビ、新聞、雑誌がグルジア問題をどのように報じているのか、この問題でロシア政府を批判する見解とか、西側のロシア批判が公然とマスコミに載ることがあるのか否か、どの程度まで政府批判が可能で、どのような批判ができないのか、この問いに答えられる者はどれだけいるだろうか。 わが国の新聞社、通信社、テレビ局などで国際報道を担当している外報部(外信部)の記者だったら、このような問いに答えられる筈だと思ったら大間違いである。例えば、英語に堪能な外報部の記者が、ロシアに関する世界の情報を丹念にフォローすれば、ロシアに関してそれなりに立派な記事は書くことができるし、テレビでちゃんとした解説をすることもできる。しかしそれだけでは、私が述べた問いに答えることはできない。 そのためには、英語ではなくロシア語に通じていて、日常的にロシアのテレビ、新聞、雑誌をフォローしていないと、答えられないのである。だから、ロシアのマスコミの実態を知っている人は、新聞社や通信社でも、ロシア語のできるモスクワ特派員とかロシア駐在員などに限られる。現代ロシア政治をフォローしているロシア問題の研究者も、たとえ日本に住んでいたとしても、ロシアのマスコミは日常的にフォローして、状況を把握していなくてはならない。 では、実際にグルジア問題でどのような内容の記事が掲載されているか、具体例を紹介しよう。まずグルジア紛争に関してロシアに批判的な記事を紹介したい。意外と思われる人も多いと思うが、日露関係や北方領土問題に関して、ロシアのマスメディアが日本側の論をそのまま大きなスペースを割いて紹介することがある。例えば、『コメルサント』紙は今年、斎藤駐露日本大使や私の見解をそのまま掲載した。米露関係について、駐露米国大使の意見を、新聞1ページ全てを使ってコメントなしで掲載することもある。意見広告としてではなく、記事としてである。 以下は、グルジア紛争に関して、中立系の『独立新聞』に掲載されたロシア人の見解だ。実際はこれよりもかなり長文(新聞1ページ)であるが、私がポイントだけを抄訳した。実はこのような見解が新聞に載るのは、現在のロシアでは新聞の読者がきわめて少ないということと無関係ではない。発行部数は、娯楽系でない硬派の新聞はせいぜい10万部ほどである。つまり、世論に対する影響力が限られているので、「民主主義国」の体裁上、このような報道も黙認しているという側面もある。 ◆ロシアは無統制の船である D・フルマン(『独立新聞』 2008.9.10) 1991年以来、わが国の体制は「西欧型」民主主義ともロシアの新政府が公式に声明した原則とも異なる方向に進んできた。この体制はますますソ連システムの基本的な諸特徴を復活させている。対外政策においてもソ連時代の基本的な諸特徴を復活させている。カラー革命(グルジア、ウクライナなどの政変)とグルジア、ウクライナのNATO加盟の努力は、かつてソ連の支配から抜け出ようとしたチェコ、ポーランドのアナロジーともいえる。ロシアの特殊権益圏(зона осовых интересов Росии)の概念はブレジネフ・ドクトリンのソフトな写しだ。グルジアの出来事はCIS内部のこと、というわけである。ときどき、デジャヴを見ている気持ちになる。ソ連的な諸特徴の復活は、自然な発展であって、このことは外交とか対外政策の問題ではなく、ロシアの「生物学的」な異質性なのである。 グルジア紛争と冷戦的状況は、プーチン流「絶対主義」の全盛期ではなく、多少リベラルで改革派的な指導者によって権威主義から少し離れるかと思われるような時期に生じた。しかしこれは偶然ではない。フルシチョフも内政面での自由化と個人崇拝批判が決してソ連体制の弱体化を意味するものではないということを示す必要があった。今日も事態はたいへん似ている。アブハジアと南オセチアの独立承認はまさにメドベージェフ自身によるものであり、誰かの圧力によるものではない。つまりメドベージェフ自身、前任者よりも軟弱ではないということを示す必要があったのだ。内政におけるリベラリズムは時に対外政策における強硬姿勢によって均衡がはかられるのである。 わが国の疑似民主主義は理念的な基盤を有していない。それゆえ、全体的な戦略が不在なのである。このようなわが体制の本質からして、内政において明確な目的がないと同様、対外政策においてもソ連時代のような、あるいは米国のような、明確な目的はない。アブハジアと南オセチアの併合に対しては、われわれは長い間にわたって多くの代償を払うことになるだろう。これは他国に対してだけでなく、国内的にもそうなのだ。われわれは自ら孤立の道を選んでいるが、それはいったい何のためなのか。わが指導者たちと愛国主義が高揚している一般国民の心理的な動機は明白だ。それは神経性のヒステリーでもある。われわれは次のように言っているのだ。 「あなたたちはコソボの独立を認めた。だからわれわれもアブハジアと南オセチアの独立を認めるのだ。あなたたちはわれわれを嫌っており、対等の者と認めていない。われわれにはあなたたちの愛は必要ないし、あなたたちには唾を吐きかけてやる。ガスがほしければ、自分で這い寄ってきなさい。」 ロシアは内政でも対外政策でも、無統制状態である。このような船は、他の船にとっても危険である。それは、必ずしも攻撃的だからというわけではなく、どちらに向かうのか分からないという予測不可能性ゆえに危険なのだ。むしろソ連を相手にするほうが、世界にとって簡単だったし、容易だった。
 袴田茂樹(はかまだ・しげき) 1944年3月17日生まれ。現職:青山学院大学国際政治経済学部教授。東京大学国際関係論博士課程修了。米プリンストン大学客員研究員、モスクワ大学客員教授、東京大学大学院客員教授を歴任。現在はロシア東欧学会代表理事。 専門は現代ロシア論。関心は哲学、文学、芸術と幅広い。趣味は、各地の料理と酒を堪能すること。ツーリング。主な著書に『深層の社会主義』(サントリー学芸賞受賞)、『文化のリアリティ』、『現代ロシアを読み解く』ほか。 |
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