Feature袴田茂樹のおろしあ国徒然譚

第13回 モスクワで聞いた年次教書とオバマ当選ニュース

 

 

 

 大統領任期延長はメドベージェフのプーチンへの「お礼」か


11月5日、米国大統領選でオバマ氏当選が確定した直後に、モスクワでは正午からメドベージェフ大統領が初めての年次教書を発表した。その時、ちょうど私もモスクワに滞在していたので、この2つの出来事に対するモスクワの反応を直接知ることができた。雰囲気を簡単にお伝えしたい。
まず、年次教書から。メドベージェフ大統領が教書演説を始めた時、私は大統領顧問の経済学者D氏(シンクタンク所長)と彼の大きな執務室でロシア情勢や国際関係について意見交換をしていた。ちょうど正午にD氏が、これから教書演説が始まるよと言ってテレビのスイッチを入れたので、われわれは二人で一緒に演説を聞き始めた。この演説の後、D氏を含めてロシア人の何人かの専門家と、教書について個人的に意見交換をした。

 

ポーランドやチェコのミサイル防衛システム配備への対抗としてのミサイル「イスカンデル」や電波施設のカリーニングラードへの配備、カフカスでは一歩も引かないという強硬姿勢など米国に対する強い姿勢が印象的であった。ただ、西側世界からの孤立は避けようとしており、経済協力などには前向きの姿勢を示している。多くの者が話題にしたのは、憲法を改定して大統領の任期を4年から6年に延長する提案が含まれていたことだ。いつから延長するのかについてメドベージェフは触れていない。私の会った知識人たちの間では、プーチンの大統領復帰に向けてのお膳立てという見方が多数を占めた。つまり、この提案は大統領に指名してもらった「お礼」というわけである。
このことは、メドベージェフの権威がしっかりとは確立しておらず、今でもプーチンの存在感が大きいことを示している。グルジア紛争の直後には、メドベージェフの支持率は大幅に上昇したが、最近の経済危機の中で、メドベージェフの支持率がプーチンよりも急速に下がっているという情報もある。ただ、ロシアの一部のマスメディアでは、6年任期の提案は、メドベージェフ自身の任期延長を狙ったものだという見解も報じられている。この見解は、メドベージェフの地位が今後強化されることを予想している。つまり、プーチンとメドベージェフの関係については、まだ流動的だということだ。

 

今回の教書でメドベージェフが最重要課題として強調したのは、腐敗、汚職との闘争である。そのためのいくつかの措置も教書では述べられているが、このロシアの根深い慢性病がメドベージェフ大統領によって改善されると思っている者は皆無であった。このことは、ロシア社会では法秩序が正常に確立していないということでもあり、これからのロシアの最重要課題である経済改革そのものの前途も暗いものにしている。現在のロシアの経済危機は、マネーゲームなどで巨富を築いた富豪を痛撃した。しかし一般国民への影響は、一部解雇が生じているが、市民生活面ではまだ感じられない。専門家たちは、数か月先に生活面への影響が現れると見ている。

 

日本に対する評価の転換

 

欧米だけでなくロシアでも、オイルマネーを保有する政府が、西側の金融市場からの借り入れ金返済で窮地に陥っている大銀行や有力企業の救済に乗り出している。銀行が企業に融資できなくなると、ロシア経済全体が破綻するからだ。しかし、生産部門を活性化させるために融資されるはずの政府資金が、実際に生産部門への投資に向けられると誰も信じていない。事実、政府から緊急の融資を受けた銀行は、さっそく外貨購入などに走っている。国内企業への融資は、腐敗、汚職などでリスクが大きすぎるからだ。

 

D氏とは、最近の国際金融危機とそのロシアや日本への影響について話した。日本に関しては、マネタリスト的投機に狂奔しなかった慎重なわが国の経済界のアプローチが、結果的に金融危機の被害を少なくしたことをD氏は極めて高く評価した。これまでロシアの専門家はみな、日本の経済界はあまりに保守的だと批判していたことを思うと、感慨が深い。野村ホールディングズがリーマン・ブラザーズのアジア、欧州、中近東部門を買収し8000人の社員を引き継いだことは、D氏に強烈な印象を与えたようだ。ロシアの日本経済への評価が高まることは大変結構なことである。
ロシア経済に対する影響としては、政府の役割が大きくなることは間違いないが、このことにはプラス面とマイナス面があるとD氏は考えている。プラス面とは、例えば航空機産業の分野では企業が多すぎて効率を悪くしているが、国が多くの企業を統合することによって、国際競争力を高めることができるというのだ。

 

これに対して私は、それはソ連的なアプローチへの復帰を感じさせるし、むしろ国内での競争をなくして生産性を下げる結果にならないかと尋ねた。彼は、産業分野によって異なるが、航空機産業の場合は国外企業との競争となるので、政府主導の統合はやむを得ないのだと述べる。ただ一般論としては、国家の管理が強くなりすぎて市場原理を殺ぐ懸念はあるとして、政府の影響力が強まることはマイナス面が少なくないことを彼は認めた。欧米でも、「金融の神様」と言われたグリーンスパン米FRB議長の権威が失墜し、経済論は「小さな政府」論全盛から「大きな政府」論に傾きつつある。この流れの中で、ロシア国内でも市場派が後退し国家統制派が勢いを得ることをD氏は明らかに懸念していた。
昨年から、ロステフノロギヤをはじめとして国家企業(госкоопорация)が次々と創設された。プーチンもメドベージェフも国家資本主義への道は否定し、市場制度の発展が原則であって国家が経済を統制すべきではないと、繰り返し述べている。しかし、現実には国家企業の拡大や政府融資を通じての企業・銀行支配など、政府のますます強まっている。そこで、国家企業の効率などの評価について彼に尋ねると、個々の国家企業によってまったく状況は異なり、したがって評価も一様ではないという。前述の航空機産業の場合は、国家企業という形で統合されることのメリットは大きいが、マイナス面が大きい国家企業も少なくないという。いずれにせよ、ロシア経済における政府の役割は大きくなるだろう。

 

先が読めないオバマ政権への不安

 

オバマの大統領当選に関しては、それを歓迎する雰囲気ではなかった。モスクワの知人たちとこの件でも意見交換をしたが、マケインが強硬な反ロシア姿勢を打ち出しているのに対して、オバマは明確な対露姿勢は打ち出していない。また、これまで外交経験もない。したがって、強硬姿勢でないから安心というよりも、先が読めないことや経験不足などを不安がる空気の方がむしろ強かった。
マスコミでは、オバマが大統領になったからと言って対露政策が穏健になる保証はない、民主党は伝統的にロシアに対して人権問題などで共和党よりも厳しい態度をとってきた、米国の対露強硬姿勢は変わらない、といった論調が中心であった。これらマスコミの論調は、対米関係を楽観視しないように、あるいはロシアの世論を引き締めるために、意図的に強調していると見てよいだろう。オバマ当選の日にロシアは年次教書を発表して、米国にミサイル配備などで先制攻撃をかけたが、米国民は反露的ではないとして関係改善のポーズも同時に示している。対米政策はしばらくは様子見ということになるだろう。

 

 

 

バックナンバー

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第15回 「ロシアから見た「源氏物語」」

第14回 「ロシア人は頭脳、日本人は技術」は正しいか
第13回 モスクワで聞いた年次教書とオバマ当選ニュース
第12回 ロシアのマスメディア 新聞篇(2)
第11回 ロシアのマスメディア 新聞篇(1)
第10回 ロシア新大統領考
第9回 ソ連製カメラの行く末
第8回 日本に先んじていたソ連のカメラ工業
第7回 タイ製ニコンのショックとロシア的市場経済
第6回 ロシア人の高等読書術
第5回 ロシア人と外国語――欧米文化に復帰するロシア人
第4回 市場派リーダーの反市場的失言
第3回 交渉はタラップの上で決まる
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第1回 日本とロシア――忘却から再発見へ


 

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袴田茂樹(はかまだ・しげき)

 

1944年3月17日生まれ。現職:青山学院大学国際政治経済学部教授。東京大学国際関係論博士課程修了。米プリンストン大学客員研究員、モスクワ大学客員教授、東京大学大学院客員教授を歴任。現在はロシア東欧学会代表理事。

専門は現代ロシア論。関心は哲学、文学、芸術と幅広い。趣味は、各地の料理と酒を堪能すること。ツーリング。主な著書に『深層の社会主義』(サントリー学芸賞受賞)、『文化のリアリティ』、『現代ロシアを読み解く』ほか。

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