Feature袴田茂樹のおろしあ国徒然譚

第14回 「ロシア人は頭脳、日本人は技術」は正しいか

 

 

 今年の10月に日本人が4人同時にノーベル賞を受賞して号外まで出た。ちょっと胸のすくようなニュースだが、これで、日本人の優秀さが示されたなどと素朴にはしゃぐつもりはない。ただ、日頃のうさ晴らしにコラムの種にするくらいはまあ赦されるだろう。うさ晴らしというのは、よく次のようなことを耳にするからだ。日本人は他国の技術を改良するとか外国人が考案したアイデアを使って工業製品にするのが巧みだが、原理的な問題についてはあまり創造的ではない。ただ、技術面、応用面で優れているだけだ、と。
ロシア人からも同じことを聞くことが少なくない。つまり、ロシア人は優れた頭脳を持っている、日本人は素晴らしい技術(ロシア語で「金の腕」という)を有している。だからロシアと日本が協力すれば、素晴らしい成果が生まれる、といった話だ。公式的な場で公然とこのようなことを言うロシアの学者や高官もいる。筆者の親しい著名な学者で政治家としても有名な人物も、日本は産業技術の面では進んでいるが、ロシアと比べて基礎研究で遅れているので将来性がないと述べていた。
たしかに、日本人は精巧な図を緻密に描くのは得意だが、思い切った骨太のデザインを描くのは不得意という気質がある。政治でいえば、戦略より戦術に長け、政治家の行動も長期政策型ではなく政局対応型になりやすいということだ。残念ながらこの国民性は認めざるをえない。しかし同時に、学問の研究でも、すぐ応用できる知識や技術だけではなく、基礎研究にこつこつ取り組む気質も案外根強いのである。実生活には何の役にも立たない「和算」の諸流派に見られるように、江戸時代からすでにそのような伝統は存在していた。
すぐ応用がきくわけではない研究という意味では、ノーベル賞がそのことを測る一つの物差しになるかもしれない。そこで、今回の日本人の受賞を機会に、ノーベル賞に関して日露を比較してみた。ここでは自然科学部門のノーベル物理学賞、化学賞に限定して日本とロシア(ソ連)両国の受賞者を比較してみよう。

 

日本人受賞者([ ]内は外国籍)
①湯川秀樹(物理学賞、1949年) ②朝永振一郎(物理学賞、1965年) ③江崎玲於奈(物理学賞、1973年) ④福井謙一(化学賞、1981年) ⑤白川英樹(化学賞、2000年) ⑥野依良治(化学賞、2001年) ⑦小柴昌俊(物理学賞、2002年)⑧田中耕一(化学賞、2002年) ⑨小林誠、物理学賞(2008年) ⑩益川敏英(物理学賞、2008年) ⑪下村脩(化学賞、2008年) [⑫南部陽一郎(アメリカ、物理学賞、2008年)]

 

ロシア人・ソ連人受賞者([ ]内は外国籍)
①N.セミョーノフ(化学賞、1956年) ②P・チェレンコフ(物理学賞、1958年) ③I・フランク、物理学賞1958年  ④I・タム(物理学賞 1958年) ⑤L・ランダウ(物理学賞、アゼルバイジャン1962年) ⑥N・バソフ(物理学賞、1964年) ⑦A・プロホロフ(物理学賞、1964年) ⑧P・カピッツァ(物理学賞、1978年) ⑨J・アルフョーロフ(物理学賞、2000年) ⑩A・アブリコソフ(物理学賞、2003年) ⑪V・ギンツブルク(物理学賞、2003年) [⑫I・プリゴジン(ベルギー 化学賞、1977年)] 

 

 興味深いことに日本人とロシア人(ソ連人)の受賞者数はまったく同数で12人である。ただ、ソ連邦崩壊(1991年)後の新生ロシアと日本を比べると、日本人が8人であるのに対して、ロシア人は3人である(最近の受賞でも受賞対象の研究はそれ以前の場合もある)。ロシア人の場合、9人がソ連時代の受賞だ。ちなみに、ソ連の人口は、日本の2倍以上であった。今はロシアが十数%多いがほぼ同じ人口と言える。
 これを見ると、「ロシア人は頭脳、日本人は技術」という論が正しくないことは明らかである。基礎研究の部門では日本よりも近年のロシアの方がより深刻な問題を抱えていることは、プーチン首相やロシア科学アカデミーの首脳たちが認めている。基礎研究の遅れに関しては、プーチンが学者を批判しているのに対し、学者はそれに反論して90年代の混乱や国の政策を批判した。偶然かもしれないが、学者の反論では日本が比較の対象に挙げられている。参考までに、以下その論争に関する記事を紹介する。

 

プーチン首相の基礎研究批判と学者の反論(『独立新聞』2008.8.21)
 プーチン首相は8月20日に、教育、経済関係の諸閣僚と会合し、学術研究に向けた国家予算をより合理的に使うよう求めて、次のように述べた。
科学と教育への国家予算はこれまでにない額となっているが、基礎研究は経済の要求に十分応えていない。採択された基礎研究5ヵ年プログラムには2500億ルーブリ以上割かれている。2009年からは、800億ルーブリをかけた目的別連邦プログラム『ロシアの技術革新と科学分野および科学教育分野の人材』が開始される。2008年から2010年までには、国の学術・教育の予算総額は6000億ルーブリとなるが、これはかつてない額だ。連邦南部大学と連邦シベリア大学が設立され、連邦極東大学も設立される。さらにモスクワ物理研究所をベースに国立原子力研究大学を、またモスクワ鉄鋼冶金研究所をベースに国立工科大学を設立する案を承認した。このように国は教育と科学研究に巨額の資金を拠出しているが、これらの投資の効果を疑っている。基礎研究の成果は、応用研究に結びつかず、経済のニーズも考慮していない。研究開発部門は国の予算にのみ頼って独立採算の努力が十分なされていない。国立研究所の効率も今のところ低い。
 

 このプーチン首相の批判に対して、ロシア科学アカデミーのアレクサンドル・ネキペロフ副総裁は次のように反論する。現在、国はたしかに以前に較べると学術にはるかに多く資金を出している。しかし90年代に大幅な予算削減がされており、性急な成果を求めてはならない。今日資金を投入したからといって、明日にも国内総生産が増加するわけではない。近年われわれは、90年代の資金不足で疲弊しきった研究体制が崩壊してしまうのを防ぐのに全力を注いできたのである。
 FBK社の戦略分析部長、イーゴリ・ニコラエフも次のように述べている。資金は実際に増加したが、しかし日本では国内総生産の約3%が科学・教育に向けられているのに対して、わが国ではまだわずか1.2%にすぎない。基礎研究に経済的な効果を求めるのは間違っている。というのは、基礎知識の土台の上に学術研究的な、また応用開発的な成果が生まれるのであるから。問題の本質は、ロシアの経済には競争が極端に不足しているので、技術革新へのニーズがないということである。現代のロシアの状況では、行政的手法によって競争を避けることができ、新しいテクノロジーのための刺激が無い。競争原理の経済を創ることが不可欠であり、そうなれば基礎研究に関しては万事がうまくいく。

 

 

 

  

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袴田茂樹(はかまだ・しげき)

 

1944年3月17日生まれ。現職:青山学院大学国際政治経済学部教授。東京大学国際関係論博士課程修了。米プリンストン大学客員研究員、モスクワ大学客員教授、東京大学大学院客員教授を歴任。現在はロシア東欧学会代表理事。

専門は現代ロシア論。関心は哲学、文学、芸術と幅広い。趣味は、各地の料理と酒を堪能すること。ツーリング。主な著書に『深層の社会主義』(サントリー学芸賞受賞)、『文化のリアリティ』、『現代ロシアを読み解く』ほか。

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