わが国の文学作品で世界に最も大きな衝撃を与えたのは、1000年前に紫式部が書いた源氏物語(Повесть о Гэндзи)だろう。今年は源氏物語千年紀となるので、11月初めには京都で天皇、皇后陛下の臨席のもとに国際的な「源氏物語記念フォーラム」も開催され、世界各国の専門家たちと共に、1991-93年にロシア語で全訳を出したタチアナ・デリューシナ(Татьяна Львовна Соколова -Делюсина)氏も招かれて報告を行った。 源氏物語が世界に知られるようになったのは、1925年にイギリスのアーサー・ウェイリー(Arthur Waley)の英訳The Tale of Genjiが出てからである。この英訳が出た時の世界の反響は特筆に値する。例えばイギリスのタイムズ紙と米国のニューヨーク・タイムズ紙は、ともにほぼ1面全部を使って「文学界で稀に起きる奇跡のひとつ。この完成度は、よほどの大作家でないとこれをしのげない」とか「疑いもなく最高の文学。驚嘆すべき傑作」と絶賛した。雑誌「The NATION」も、源氏物語の世界は新たな惑星であるとして、彗星のように新しい文学が東洋の国から現れたことを興奮して歓迎した。同誌は、「ヨーロッパ人は、小説を書いてきた全期間をつうじて、この女性が千年前に易々と達成したことを成し遂げることができなかった。プルーストも彼女から学ぶことがあっただろう」とか、「ヨーロッパの小説が300年かけて徐々に達成したものが、ほとんどすべて源氏物語にはある」などと述べた。 私がここで特筆したいことは、1925年に初めて英訳が出る前の年に、つまり1924年にすでにロシア語で源氏物語が翻訳されていることだ。翻訳したのは、有名なロシアの日本学者N・コンラッド(Николай Иосифович Конрад 1891-1970)氏である。コンラッド訳は全訳ではなく部分訳であるが、独自の広い芸術的な視野から生み出されたすぐれた翻訳である。彼は1924年に「空蝉」の巻をПовесть о Гэндзи, Блистательном принце. «Цикада» (Уцусэми)と題して発表した。続いて、1925年に「夕顔」の巻をВечерний лик (Югао). Глава из Повесть о Гэндзиとして、また1927年には「箒木」の巻の有名な「雨夜の品定め」の場面をГэндзи-моногатари. В дождливую ночьとして、また1935年には「桐壷」の巻を Фрейлина Кирицубо. Глава из романа «Гэндзи-моногатари»と題して翻訳し発表している。 私は、コンラッドの源氏物語に対する理解は、多くの日本の国文学者よりも幅も広く奥が深いと感じている。というのは、彼は源氏物語を生みだした日本の平安期の王朝文化を、南フランスのプロヴァンス(Provence)文化、そして中国の六朝文化と比べて、その共通点を指摘しているからだ。この慧眼は、コンラッド氏が20世紀のモダニズム文化隆盛の直中に居ながら、古代や中世の西欧文化、中世アラビア文化、古代の中国文化、古代や中世の日本文化などに精通していることを示している。 コンラッドが、このような世界的な観点から源氏物語を理解していたことは、1920年代のロシアにおける日本文化の理解がいかに深かったかを物語っている。世界を視野に置いたコンラッド的な源氏物語の理解は、今では知識としてはわが国でも知られている。しかし残念ながら、わが国の国文学者の中には、コンラッドや岡倉天心(1863-1913)のように、芸術や美学を世界的に鳥瞰して深く理解した上で、日本や中国の芸術を語れる者は少ない。 コンラッドがこのような形で日本文化を理解できたのは、なぜだろうか。帝政時代からロシアでは日本学が発展していたということも一つの原因だろう。私は、1920年代のロシアのモダニズム文化とも関係があると考える。1928年に初めて歌舞伎がロシアで公演されたとき、それはロシア文化界に大きな衝撃を与えた。その理由は、ロシア人が日本の伝統文化を単なる異国情緒(エキゾチズム)あるいはジャポニズムとして受け入れたからではなく、現代に通用する、いや未来を先取りするモダニズムとして受け取ったからである。したがって、日本の歌舞伎はエイゼンシュテインの映画(例えば「イワン雷帝」)にも、メイエルホリドの演劇にも深い影響を与えた。ちなみに、20世紀の最大の舞台芸術家のひとりメイエルホリドは、日本の文化と日本人との関係が深かったために、「日本のスパイ」としてスターリンによって粛清された。 コンラッドも、このような文化風土の中で、日本の源氏物語を単に歴史上の古典としてではなく、モダニズムに通じる作品として受け止めた。なお、コンラッドはロシアにおける日本学の祖として、ロシアの日本研究者に今でも尊敬されている。デリューシナも、コンラッドの業績を受け継いで全訳という仕事を完成させた。わが国では、国際交流基金や専門の研究者が彼女の仕事を高く評価している。私の指導した研究者は、彼女の訳した源氏物語ロシア語訳の研究で博士号を取得した。 ただ、ロシア国内では残念ながら、ロシア語訳に必ずしも大きな注目がはらわれなかった。理由は、翻訳されたのが1991-93年という、政治的にも経済的にも最も混乱した時期で、ロシア国民は日々の生活やビジネスに追われて文学どころではなかったという事情がある。また、デリューシナは、研究者として厳密で誠実な翻訳を行っているが、もともと難解で高度な上流知識人向けの作品であるため、結果的に文学作品としてはかえって読みづらくなったという側面もあるだろう。今後はデリューシナのすぐれた業績を基礎に、ロシアの詩人や作家が思い切って自由訳を試みても良いのではなかろうか。 最後に、源氏物語を理解するために、日本の二つの文化の流れについて簡単に触れたい。8世紀の奈良時代、9-12世紀の平安時代、武士が政権を握った13世紀以後の鎌倉、室町、江戸時代を振り返ってみると、わが国には単純化すれば2つの文化の流れがあった。 一つは、源氏物語や古今集、新古今、和歌などに代表される貴族主義的な王朝文化の流れである。これは優雅な「雅(みやび)」の文化、あるいは日本語で「もののあわれ」と呼ばれる独特の繊細な文化で、男女の細やかな愛や人間関係を基調にしている。この文化感覚は、近代・現代的な形では上田秋成、泉鏡花や三島由紀夫、ロシアでいえば、20世紀初めのシンボリズムや雑誌「芸術世界Мир Исскуства」の繊細な文学に通じるものがある。 もう一つは、中国から取り入れた儒教の現実主義、倫理主義や禅仏教の文化だ。その代表は武士道や禅などの武家文化、漢詩、俳句の世界であり、男性的な力強さ、潔さ、簡潔さなどを特徴とする。さらに、両者の折衷として東山文化や江戸時代の町人文化もある。 正岡子規や夏目漱石など明治以後の日本の国民文学は公家的な雅の文化よりも男性的な後者の文化が基礎になっている。日本の近代化のためには、女性的な雅の繊細さよりも、男性的な力強い現実主義が必要とされたからだ。 源氏物語の千年紀を機会に、日本とロシアの文化をもう一度比較するのも、興味深いことであろう。