Feature袴田茂樹のおろしあ国徒然譚

第16回 サハリンで見たこと考えたこと

 

 

 この12月半ばに、サハリンを訪問した。サハリンに行くのはこれで6、7回目である。1990年代の半ばに初めて行った頃は、古いソ連時代を缶詰めにしたような雰囲気に、ソ連生活5年の私は、ああ、懐かしいなと、ノスタルジーを感じたものだ。今は、州都ユジノサハリンスクには現代的なスーパーやレストラン、新しい建物が幾つもできて、石油、ガスの輸出でサハリンもすこし潤ったなと感じる。ただ、物価がモスクワ並みに高いのには驚かされた。サハリンの人たちは、そのことをおおいにボヤいている。
 

sakhalin-1.jpg サハリンの南端のコルサコフ市の近く、プリゴロドノエにはロシアでは初めての最新式の天然ガス液化工場が最近完成した。有名なサハリン2のプロジェクトの産物だ。私が訪問したとき、ちょうど最初の液化ガス・タンカーが日本に向けて出港する式典をしたばかりであった。今回の工場訪問は、私にとって、建設開始時に訪問したときから数えて3回目になる。この工場は世界でも屈指の大規模な最新式工場で、まさに新しいサハリンの発展を象徴している。この建設には、日本の企業や技術者が全面的に参加した。したがって、これは日露の協力のシンボルでもある。サハリンの人たちはこの新しい工場を誇りにしているが、日本人も胸を張ってよいだろう。このような最新のサハリンも面白いが、私はサハリンの歴史にも関心を向けた。
 サハリンは、元は日露の混住の地で、南サハリンは1905年から1945年までは樺太と呼ばれて日本領だった。戦前には私の従姉も樺太に住んでいたし、樺太生まれの知人、友人も何人かいる。したがって日本人には特別の思い入れがある島でもある。歴史的にも、樺太が島であることを発見した間宮林蔵の話は、かつてはほとんどの日本人が知っていた。
 十数年前、初めて州都のユジノサハリンスクに行ったとき、駅前に日本時代の機関車デゴイチ(D51)が展示してあるのを見て、日本との深い絆を感じたものである。日本は樺太を単なる植民地としてではなく、日本の一部としてその開発や近代化に特別の力を入れてきた。日本時代は、北海道よりも樺太の工業化により多くの投資が行われたともいう。王子製紙など日本を代表する企業の最新工場も樺太に作られた。樺太には道路らしい道路が全くなかったので、日本政府が幹線道路も整備し、鉄道や港湾も建設した。植民地という意識がなかったので、教育制度も本土と同じように整備された。英国が植民地インドの産業化にほとんど投資しなかったのと対照的である。
 sakhalin-2.jpg ユジノサハリンスクには、サハリンの自然や歴史を展示した郷土博物館がある。建物は日本時代のものを利用しているので、その形も日本式建築だ。日本統治時代から、この建物は博物館として利用されていたそうだ。しかし初めてこの博物館の展示を見た時、その内容に驚いた。サハリンの歴史にはまるで日本の樺太時代が存在しなかったかのように、日本時代がまったく無視されていたからのだ。この展示では、日本は、第2次大戦の時に、ソ連軍が戦った侵略者として扱われているだけである。これは、共産党時代のイデオロギー的な見方であり、今も一部の偏狭なナショナリストがそのような歪んだ歴史観を保持している。
 その時以来、私はユジノサハリンスクの行政府の対外責任者や文化担当の責任者、サハリン大学の学長など現地の教育者などに、サハリンの歴史を客観的に見るのは、両国民の相互理解の基礎であり、ロシア国民自身のためでもあると説いてきた。コルサコフなどの古い都市には、拓殖銀行の建物や日本の神社の石段なども部分的に残されている。また、プリゴロドノエの近くの小山の上には、日露戦争時の記念碑がある。しかし残念ながらそれら歴史的遺産の大部分は、今は無残に壊されて放置され、あるいは新たな建物の建材などに転用されている。北方4島では、日本人の墓石が、民家の建物の土台に使われたりしていた。
 私はサハリンの指導的な立場の人たちに、次のような話をした。日露戦争の捕虜となって日本の収容所に入り、そこで亡くなったロシアの将校や兵士がたくさんいる。松山やその他の収容所のあった都市では、土地の人が丁重に敵国の軍人だったロシア人を葬り、墓守もしてきた。また、函館や東京にはロシア正教の教会もあるが、日本人は日露戦争中も冷戦中も、それらには敬意をもって対してきた、と。
 今回の訪問で私は、このことに関連した嬉しいことをいくつか知った。まず、日本側とサハリン側が協力して、百数十か所の歴史的な遺跡や記念物を保存しようとする活動が起きているということだ。関係者には大いに敬意を表したい。また、ユジノサハリンスクの郷土博物館の展示も部分的に変更され、10ほどある展示室の一つの部屋の壁の一面が、日本時代の展示にあてられていた。といっても、その内容はまだエピソード的で、日本時代にサハリンの開発や近代化、工業化が大幅に進んだことなどは、展示物からはほとんど分からない。関係者は、これも改めると述べたが、今後の改善が待たれる。
 もうひとつ嬉しかったことは、歴史を客観的に見ようという知識人たちが熱心な活動を展開していることを知ったことだ。数年前にサハリンの公文書館を訪問したとき、サハリンの歴史に関する展示が客観的なことに驚き、私はこれを高く評価して関係者に伝えた。今回、公文書局長のA・コスタノフ氏と親しく付き合ったが、彼が今年発行された本(大学教科書)だと言って、分厚い『サハリンとクリル諸島の歴史 ИСТОРИЯ САХАРИНА И КУРИЛЬСКИХ ОСТРОХ』(ユジノサハリンスク 2008年 712ページ 発行部数1100部)をプレゼントしてくれた。コスタノフ氏も4人の著者の一人である。頂いたその夜、ユジノサハリンスクのホテルで早速内容を読んで深い感銘を受けた。それは、サハリンの歴史を、日本時代を含めて客観的に評価しようという意図が明確に感じられたからだ。
 また、お土産店でたまたま入手した「樺太 サハリンの日本時代」(2007年)と称する2時間余りのロシア語のDVDも、帰国してすぐ観たが、その内容も歴史を客観的に見ようという優れたものであった。このDVDの制作にもコスタノフ氏が関係し、出演もしている。また、サハリン州国際・対外経済・地域間関係委員会副委員長のN・ヴィシネフスキー氏とも今回親しくお付き合いしたが、彼も樺太時代の歴史やその遺産に対してはきちんとした対応が必要だと強調していた。サハリンの知識人たちが、自分たちの土地の歴史を、イデオロギーを排してきちんと見ようと努力していることに、強い感銘を受けた。

 

 添付写真は、プリゴロドノエの液化天然ガス工場とユジノサハリンスクの郷土博物館
 (撮影 袴田)

  

 

 

 

 

 

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第12回 ロシアのマスメディア 新聞篇(2)
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袴田茂樹(はかまだ・しげき)

 

1944年3月17日生まれ。現職:青山学院大学国際政治経済学部教授。東京大学国際関係論博士課程修了。米プリンストン大学客員研究員、モスクワ大学客員教授、東京大学大学院客員教授を歴任。現在はロシア東欧学会代表理事。

専門は現代ロシア論。関心は哲学、文学、芸術と幅広い。趣味は、各地の料理と酒を堪能すること。ツーリング。主な著書に『深層の社会主義』(サントリー学芸賞受賞)、『文化のリアリティ』、『現代ロシアを読み解く』ほか。

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