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第1回 上をむいてごらんーマヤコフスカヤ駅
マヤコフスキーは革命詩人だった。どんな詩を書いたのか、詳しくは知らない。けれど「革命詩人」という言葉にはなにか甘美な響きがありはしないか。その詩人の名を付けた駅が、モスクワ地下鉄2号線にある。モスクワの中心トヴェルスカヤ大通のマヤコフスカヤ駅だ。 モスクワ滞在中にたびたびこの駅を利用したのは駅から徒歩1分のところにあるレストラン&バーが目的だった。アメリカンなその店は、ハンバーガーやステーキ、ジョッキのビールにバーボンと、まるでテキサスかコロラドのようだったが、通ったその理由は店内に無料で使える無線LANがあったからだ。レストランでパソコンなど無粋きわまりないことだが、楽しそうに盛り上がっているモスクワッ子たちの傍らで、ノートブックとしばしにらめっこをしていた。 ネットカフェは結構見かけるのだが、自前のパソコンを使える環境はまだまだ少ないモスクワでは貴重な場所だった。 レストランからの帰り、駅で地下鉄が来るのを待つ間、ふと天井を見上げると、天井にドームがいくつも並んでいた。そのひとつひとつにはモザイクで絵が描かれていた。落下傘で降下してくる若者だったり、若い男女の体操選手が飛翔する場面だったり、戦闘機の編隊だったり。どこか懐かしい思い、なぜか「グリコのおまけ」を思い出した。 後日調べて判ったことだが、マヤコフスカヤ駅のモザイクは「ソビエトの空の24時間」というテーマで創作されたものだっ 1928年レーニンが死に、ネップも終わりを告げ、時代はスターリン一色になっていく。マヤコフスキーらの芸術活動は「形式主義」と批判され、社会主義的リアリズムにとってかわられた。 1930年、詩人は「恋のボートは世間と衝突してこなごな」(『マヤコフスキー選集Ⅲ』「遺稿」飯塚書店より)と書き残して自殺したという。そしてマヤコフスカヤ駅は1938年完成する。 マヤコフスキーが手がけた「広告芸術」は、時代の先取りだったのか。絶望した詩人の意思は密かに6歳若いディネカに引き継がれたのか。「グリコのおまけ」を連想したのはあながち見当違いのことではないのかもしれない。詩人は最期の詩をこう結んでいる。
(現在マヤコフスカヤ駅は入り口が新しくなって、大きなモザイク画があらたに設置されているらしい。)
マヤコフスキー記念館 http://www.museum.ru/Majakovskiy/
マヤコフスカヤ駅の昔の写真はここで 防空壕として使われていた時の写真も見ることができる http://www.metro.ru/stations/zamoskvoretskaya/mayakovskaya/
ご家族でどうぞ レストラン「アメリカンバー&グリル」 American Bar&Grill in Moscow
「マヤコフスキーは不倫相手との恋に破れ自殺した」という定説を覆
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