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第7回 ハヤブサとムカデ / ザモスクヴァレェツカヤ線ソーコル駅
地下鉄をいくつか乗り継ぐと気がつくが、駅舎のデザインにはいくつかのタイプがある。社会主義を讃えるレリーフやモザイクが飾られた豪華な駅舎は環状線に多い。中には宮殿のようなところもある。そうかと思えば、電気工場駅のようにアヴァンギャルドであったり、アエロポルトのようにアールデコであったり、設計者の芸術的な創作意図に魅力を感じる駅もある。 建築はその時代の精神や芸術、経済を反映する。しかしそれ以上にクライアントの意思が強く投影される。地下鉄も例外ではない。調べていくと、その路線 が計画され建設された順番や時期によって、駅舎のデザインは変遷をたどり、それがソ連の権力者の変遷とシンクロしていることが判る。
最初に建設された1号線と2号線の駅舎は、社会主義的な意匠を纏わされているが、基本的にはアールデコ調にデザインされている(クロポトキンスカヤ駅はある理由から例外である)。1930年代後半のソビエトは、スターリンが権力を握り、ロシアンアバンギャルドや構造主義といった優れた芸術運動が次第に社会主義リアリズム的な凡庸さに飲み込まれていった、ちょうどその時期にあたる。しかしまだ駅舎のデザインには、1920年代に花開いた芸術運動の余韻が感じられる。
ザモスクヴァレェツカヤ線(2号線)には、連載一回目のマヤコフスカヤにはじまり、ベラルースカヤ、アエロポルトそして今回紹介するソーコル駅と、モスクワ地下鉄の建築様式を代表する駅がある。これらの駅は、時系列的に見れば、モスクワ地下鉄計画の第二期にあたっている。 ここでは、建築家たちは1号線からすればもっと大胆に羽ばたいている様に思える。戦争はまだ始まっていない。スターリンは独裁体制を既に築いていたが、設計者たちはまだ自由に飛翔できた。そして、その愁眉がソーコル駅だ。

ソーコル(Со́кол)とはfalconハヤブサである。もともとは帝政時代にモスクワ郊外の新しい入植地に付けられた名前だった。最初の入植者たちがハヤブサの紋章を軒先に付けていたという。(ターニャ調査による)クレムリンから距離にして10キロあまり、開業した1938年から北隣のヴォイコブスカヤ駅が開通する1964年まで、二号線の終着駅だった。
なんといってもこの駅の特徴は、ホーム中央にならんだ扇状の柱とそれが支えているアーチ状の美しい天井だ。天井には円形の天蓋を模したドームがあり、間接照明が優しい光をホームに注いでいる。まるで大きな鳥が広げた翼の下にいるようだ。同時期に開業した 他の駅にくらべてもここには社会主義リアリズムも革命のイコンも無い。
第二次大戦が終わると、スターリンの強い意志が地下鉄のデザインにも投影される。戦後復興のモチーフが社会主義リアリズムと古典に結びつき、キエフスカヤ、コムソモーリスカヤといった豪華絢爛な駅舎が登場する。器としての古典主義が復活し、皇帝やロシア正教の代わりに、革命のヒーローとソビエトのイコンがはめ込まれて行った。ベラルースカヤ駅の頁で紹介した環状線建設の逸話が示すように、スターリン抜きでは考えられない時代だったのだ。
さて、もうひとつモスクワ地下鉄の駅舎のタイプがある。「ソーコル駅の次の駅はつまらない駅でしょ、なにもありません。柱と天井だけ」とターニャは言う。冷戦時代、モスクワ郊外に新興住宅地が建設されるのに合わせてできた安上がりの駅ひとつ。どの路線も郊外に行くと同じような造りの駅になる。「Сороконожкаソロコノーツカという言葉知っていますか?」辞書で引いてみた、百足(ムカデ)だ。「Сорокは40、ножкаは脚です。私たち市民が朝出かける時に利用する駅は、だいたこの"40脚"駅です。ちょっと残念です。」ああ、でもそれは東京でも同じだよ、ターニャ。僕らが自慢できる地下鉄の駅なんてあったっけかな?
----------------------------------- 地下鉄ソーコル駅は、ザモスクヴァレェツカヤ線(2号線)にある。ベラルースカヤ駅から郊外へ3駅目。駅はモスクワ中心部から延びるレニングラード大通りにあり、郊外の高層アパートが立ち並び始める地域。
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