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第8回 かつて宮殿が夢見られた場所 / クロポトキンスカヤ駅
モスクワの事を知るために見た方がいいわよと、我がモスクワアパートの居候であるターニャに勧められた映画がある。その映画『モスクワは涙を信じない』は、1950年代のモスクワ、田舎から出てきて寮に住む仲良しの女性三人の物語だ。工場で働くエカテリーナは、特権階級の知り合いが持つアパートの留守番を頼まれ、調子のいい友人に乗せられてパーティーを開き、お金持ちの令嬢を演じているときにテレビ局にはたらく男に見初められ交際を始める。嘘がばれ、二人は結ばれる事なく20年が過ぎる。地道に働き続け今や工場長にまでなったエカテリーナとうだつの上がらない男が再会する場所が、このクロポトキンスカヤ駅の南口からつづく並木道だった。 当時からおしゃれな場所だったこの地域には、今やイタリアンや日本食レストランが集まり、びしっとスーツを着こなした男女がビジネスランチを食べ、高級車が乗りつける店の前ではドアボーイがうやうやしく扉を開け閉めしている。
「ターニャもやっぱり地方から出てきたからさ、この映画の主人公達の気持ちがよくわかるのかな?」 「この話は、ほとんどのロシアの女性たちに共通の話ですが、私がとくに共感するのは彼女たちがダーチャに行くシーンです。」
『モスクワは涙を信じない』の三人娘は、結婚の報告にダーチャで待つ両親のもとへオンボロ車を走らせる。数十年が経ち彼女たちはまたダーチャで再会する。過ぎた時の長さだけ、人は歳を取り失うものを失っているが、三人はダーチャで10代の娘のように振るまい、再生の時間が流れる。 「ダーチャには、家族のすべてがあります。」とターニャは言う。
一方クロポトキンスカヤ駅の北口は、救世主キリスト聖堂の入り口となっている。じつは1931年、スターリンはここにあった救世主キリスト聖堂をダイナマイトで破壊し、万国の労働者と共産主義の殿堂「ソビエト宮殿」を建てようとした。クロポトキンスカヤ駅は、その「宮殿」に付属した「Дворец Советов ドヴァレェーツ・ソヴィエトフ」駅として当初計画されたものだった。 「宮殿」設計にあたってコンペが開かれ、世界中から設計プランが寄せられたという。革命後のソヴィエト政府は、モダニズムや構成主義という当時最先端のロシアのアーティストたちに活躍の場を与えていた。地下鉄駅の設計も第一期にはまだそれが色濃く反映されているが、スターリンが権力を握っていくに従って、「スターリン様式」と呼ばれる歴史主義、新古典主義に大きく変わっていく。このソビエト宮殿も当初のコンペではロシア構成主義の旗手メーリニコフやル・コルビュジエらの案が検討されたというが、結局最終案では高さ300メートルの高層ビルの上にさらに100メートルのレーニン像がそびえる威圧的な構造物となっていた。 http://en.wikipedia.org/wiki/File:Palace_of_Soviets_-_perspectice.jpg
「宮殿」は技術的な問題や戦争によって実現される事はなかった。スターリンがこの世を去り、1950年代に正式に計画案が放棄され、かわりに巨大な温水プールが建設され市民に開放された。すでに完成していたドヴァレェーツ・ソヴィエトフ駅は、クロポトキンスカヤ駅と名前を変えた。ちょうど『モスクワは涙を流さない』の主人公達が将来を夢見てモスクワの街を歩いて頃だ。 また変化が訪れたのはソビエト崩壊後の1995年だった。ロシア政府は大聖堂の再建を思い立ち巨大温水プールを撤去、2000年に救世主キリスト大聖堂が再建された。「宮殿」の入り口だったギリシャの神殿のような荘厳な駅は、今ではロシア正教の聖堂へ続いている。
「私の夢は、父親にダーチャを贈る事です。」とターニャは言う。娘からダーチャを贈られる父親のことを想像してみる。もしダーチャを買ったら、ぜひそこに招待してほしい、とターニャに頼んだ。私がモスクワのアパートを引き払ってから3年後、ターニャは自分で稼いだお金で父親のために8ヘクタールの土地を買ったという。「田舎の土地ですが、電気もガスもきています」と彼女のメールには書いてあった。
----------------------------------- クロポトキンスカヤ駅は地下鉄1号線サコーリニチェスカヤ線にある。近くにはプーシキン記念美術館、救世主キリスト聖堂、トルストイ博物館などがある。 映画『モスクワは涙を信じない』は、1979年製作。ソビエト時代に大ヒットした映画。1980年には米国でアカデミー外国語映画賞を受賞している。日本でも字幕付きのDVDが入手可能。
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